通勤電車で読む『OST(オープン・スペース・テクノロジー)実践ガイド』。やはりおもしろそうなオープン・スペース・テクノロジー。

このところ授業でずっと、ファシリテーション技法とかワークショップデザインみたいなはなしをやっていて、チームティーチングやってるのでそういう話を同僚の先生方ともいろいろしてて、以前読んだ本とかをひっぱりだして読んだりもしてたんだが、それでひさびさに思い出したのが「オープン・スペース・テクノロジー」というやつ。もう10年前ということになるのだね。
『オープン・スペース・テクノロジー』読んだ。これはかなりいい本だった。 - クリッピングとメモ
授業では「ワールドカフェ」を扱ったんだが(これは同僚の先生にすごくいいかんじにまわしてもらえてよかった)、以前、関連本をいくつか読んで実は自分的にはワールドカフェというのがどうしてもしっくり腑に落ちなかったところへオープン・スペース・テクノロジーというのを読んだらぐっときた、みたいなことを↑ここに10年前に書いてるわけである。
で、あらためて関連書を探したら出ていたので読んでみた。やはりおもしろそう。日本での実践事例というのも出ているがこれはOSTをかなり広く解釈して、また似たような技法、それこそワールドカフェとかも組み合わせた上で実践してるのを紹介している。オンライン上でやる、というのも出ていて、そのへんは10年前ではない、2018年の本ならではで、参考になる。やってみたらおもしろそうとも思うけれど、しかしこのはなしのタネは、なにがしかの主体的な参加意識のある人が参加する集まり、というのが出発点なので、まず虎を屏風から出してみてくれませんかというところはあるんだろうね。

『先生を流産させる会』を学生さんと再見。62分の映画というのは気楽に見れていいですな。

先生を流産させる会

先生を流産させる会

学生さんのおすすめでこのまえ見たわけだけれど、学生さんとその話をするにあたりなんだかんだでもういちど再見。
『先生を流産させる会』みた。ハードボイルド。おまけでついてた短篇「廃棄少女」はプロトタイプかと思ったら後から作ったらしい。 - クリッピングとメモ
さいしょは、DVDのおまけでついてるオーディオコメンタリーを聞きながらにしようと思ったけれど、なんかあたりまえながら映画を撮る側の話ばっかりで、まぁいちおう学生さんとはこれを「教育」について話をするとっかかりとしてみるわけなので、まぁちょっとオーディオコメンタリーいらんなということになって、けっきょくふつうに再見した。でまぁ、B級映画にツッコミを入れながら見る、みたいなことになって自分的には楽しかったわけである。そもそも映画というものは長くなってきているわけで、だけど映画の全盛期には、低予算で70分とか60分ちょいとかの映画が量産されていたわけで、しかもこういう「実話にもとずいた」的なイカモノ映画とかエログロ映画とかがじゃんじゃん作られていたんで、だからそういうつもりで見るといいよね、とか。学生さんはけっこう、場面場面をちゃんと見て覚えていて、自分が見落としたりしてたところを教えてもらったりしつつ見た。あと今日、気がついたのは、これ「エクソシスト」っていうか、悪魔祓い映画みたいなテイストもあって、さいしょのあたりで中学生グループが万引き?してきた指輪をみんなではめる儀式みたいなのを(そのときにローソクをたくさん灯してあやしいふんいきにしてたんだっけ)してから、クライマックスの対決が終わって悪役の指から指輪をはずすまで、みたいなストーリーがあって、さいごに指輪をはずされてからは、憑き物が落ちたように弱くて素直な中学生に戻った、みたいに見えなくもない。悪魔祓い、であって、教育(的な変容)ではないですな。教師、というよりも、悪魔と対決する悪魔祓いの神父、というかんじ。まぁいいけど。まぁ、学生さんと喋っていて、やはりこれさいしょは「いじめ」の関連の映画のつもりで見はじめたそうだけれども、やはりちがうなと。でもまぁ、学校とか、荒涼とした地方の町の感じとか、イヤーな感触をよく出してるとはいえるよねーと。

通勤電車でながしよみ『危険な「美学」』。戦争、死、政治の美学化、といったあたりのはなし。特攻隊のはなしも。

ツイッターかなんかで褒められてたので。まぁ、詩人が戦争協力したはなしと、あと宮崎駿の『風立ちぬ』がやたら美しい美しいといいながらゼロ戦を設計するはなし、それから特攻隊が「同期の桜」を唄いながら花と散っていったみたいなはなし。そんなにめあたらしいはなしがあったかなあ?死の審美化、政治の美学化、といったはなしはべつにめあたらしくないわけだし。またもうひとつ気になったのは、この本が美学業界のビジネスチャンスを増やすか、ということで、高村光太郎の戦争賛美の詩の技巧を美学的に分析してそれがいかに巧みに戦争を審美化しえているかを証明したとしても、だからといってその詩がそれゆえにより問題的であるとなるかどうかはびみょうで、仮にその詩が美学的に言ってもう少し稚拙でも凡夫にはそんな細かい違いはわからずに同様に戦意高揚していたかもしれないし、ぎゃくに、もう少しさらに美学的に高度であってもそれによって凡夫たちをより戦地に赴かせたかどうかはわからない。「同期の桜」がいかに特攻隊員の心を散華のイメージへと導いたかはそれなりにわかるけれど、たぶん若い隊員に自爆特攻させるのにより有効性があったのは覚醒剤だったかもしれないし、まぁいずれにせよ特攻命令が下されれば無理やりにでも出撃せざるをえないところに隊員たちは追い込まれていたんじゃないかと思わんではない。そんなことを思っていたら、この本で美学的な分析をしていても、かりにそれが美学的に正しかったとして、言われるような効果もたしかに存在したにしても、だからといって美学が社会に巨大な影響力を持ち始めることにはならないんじゃないかなあ、という気はしなくはなかった。

通勤電車で流し読む『板書の極意』。企業勤めで社内ファシリテーターやってる人が書いたファシリテーション・グラフィックの本。

板書の極意―ファシリテーション・グラフィックで楽しくなる会議。

板書の極意―ファシリテーション・グラフィックで楽しくなる会議。

本棚に積んである本を見たら、これも読んだつもりだったのに読んでなかったので通勤電車で流し読んだ。「板書」とあるけど、ファシリテーション・グラフィックの本。著者は、企業勤めで社内ファシリテーターをやってる人らしい。先日読んだ、小学校の先生が書いてた本もそうだけど、実際の仕事の中で書いてる本はコンサルっぽさがなくて好感が持てるなあと。
通勤電車で読む『 教師が変わる!授業が変わる!「ファシリテーション・グラフィック」入門』。 - クリッピングとメモ
でまぁ、書いてある内容そのものは大筋ほかの本とそう違わないけれど、自分はこうやっているみたいな具体的な話(グラフィックに限らない、会議運営とその前後の仕事の回し方も書いてある)がわるくないのと、途中で一か所、簡単なやりとりの板書の場面を、自分の心の動きと合わせて書いた、という記述があって、そこは工夫だな、と思った(まぁ、自分的にはもう少し、「こう思った」みたいなことではない次元の動作のビデオ分析とかやってみたいくちなのでその意味ではちがうのだけれど、著者の人なりの、ミクロなところを見たい、という気分は伝わった)。

きのうの流れでとばしよむ『頭がよくなる「図解思考」の技術』。「図解通訳」というワード(だけ)がキモ。

[カラー改訂版]頭がよくなる「図解思考」の技術

[カラー改訂版]頭がよくなる「図解思考」の技術

昨日読んだ会議術本がわるくなかったので、
通勤電車で読む『図解思考の会議』。ファシリテーショングラフィック+フレームワーク、みたいな路線の本だが、わるくない。 - クリッピングとメモ
同じ著者の本を読もうかなと思ってふと本棚を見たら、これも買ったなりつんどく状態だったとおぼしき本が見つかったので読んでみた。で、まぁけっこうとばしよみになったのは、にたようなところをすっとばしたからというのはある。この本は、前の本が「会議術」ということで「3S会議」というのを提起していたのに対して、こっちの本は、ノート術というかメモ術というか、そういうことが書いてあって、「図解通訳」というワードが提案してある。つまり、メモを取るときに、聞いたことを箇条書きで書くのではなくて、リアルタイムで同時通訳のようにして図にしましょう、すなわち図解通訳、というしだい。それで、あとはじっさいのところ前の本とおなじように、単純な記号や絵文字の使い方、6つのフレームワーク、練習問題、というふうに続いていく。基本的に著者の人は、「図解思考」がやりたい人であるようで、そこに味付けとして、「会議」が来たり「メモ」が来たりするよ、というかんじのよう。でまぁ、だから、この本のキモは「図解通訳」というワードを提案してることなわけで、まぁ、そういうのはありかな、とは思ったが、しかしメモってとにかく時間との勝負で、箇条書きどころか書きなぐりになりそうなぐらいであって、それを図解にしましょうというのはけっこう大変かなぁ、というのも思わなくもない。でもまぁ、同時通訳の人だって瞬時に翻訳をやってるんだから「図解通訳」だって瞬時に図解できますよ、という押し出し方は、まぁなくはなさそう。
で、しかしじっさいのところ、これは昔に「マインドマップ」についていろいろ読んでたときにも思ったのだけれど、
マインドマップ の検索結果 - クリッピングとメモ
リアルタイムで図にしていこうとすると、物理的に紙面との勝負ということがあって、うまくバランスよく図を描いていくことは、とくに時間が長くなったりしてたくさん書き込んでいかないといけなくなると、ものすごく難しい。そのへんを、「完成図を予測して適切なフレームワークを選択して」とかいってるけれど、たぶんそこのところがいちばん難しいところだと思う。じつはそのあたりについて、うまくグラフィックが書ける人の描いているようすをビデオ分析できないかと、昔ちょっと考えたことがあるんだった。たぶん、そのあたりの「コツ」をうまく言語化・方法化してる本があったら読みたいと思うんだけど、この本含めふつうは、慣れとか練習とかそういういいかたでかたづけちゃうんだよなあ。

通勤電車で読む『図解思考の会議』。ファシリテーショングラフィック+フレームワーク、みたいな路線の本だが、わるくない。

この辺のジャンルの本は、本棚にあってもどれを読んだか読んでないかわけがわからなくなってるけれど、気が付いたら読んでなさそうな気配(「売上スリップ」がページをまたいで挟まってる、等々)があったので、読んだ。基本的には、ファシリテーショングラフィック+フレームワーク、みたいな路線の本。「3S会議」だそうで、「少人数・短時間・立ってやる」、実務関係者だけの小人数で、10分とか15分ぐらいでちゃちゃっと、ホワイトボードの前に立ってやる、という。それでスピーディな判断でやるよ、と。で、ホワイトボードの前で立ってやる、みんながアイディアをどんどんホワイトボードに書いていったりする、というところはファシリテーショングラフィック的だし、あとそこに、本の後半は、フレームワークを活用しよう、という話が続く。
ので、基本ラインはこの↓本で見たかなという感じだけれど、
通勤電車でとばし読む『描いて共有!チーム・プレゼン会議術』。 - クリッピングとメモ
この『図解思考』本のほうが、たぶん印象が良かった(前の本は前に読んだので印象はあまり覚えてないけど)。はなしが具体的でより教科書的だったから。

あと、著者の人は、ファシリテーショングラフィックと似てるけど違うよ、と言っていて、理由はと言うと、ファシリテーショングラフィックはファシリテーターが居るミーティングということだが、3S会議は少人数で、みんなが思いついたことをどんどんホワイトボードに書くのだ、と。まぁね。そのへんはしかし、たぶん、FGをうまくやると参加者の参加度があがるし板書の内容にリアルタイムでどんどん口出しするようになる、という理屈だと思うので、意外に両者の違いは実際的には小さいかもしれないし、「ファシリテーター」を一人立てることによって、ミーティングのプロセスがおちつくということもあるだろう(参加者がてんでばらばらに思ったことをどんどんホワイトボードに書いていってしまうようではミーティングが収拾つかなくなるわけで)、ぎゃくにいうと、この本で想定されている「実務関係者だけの少人数」というのは、かなり前提を共有したメンバー、ということなのだろうし、FGが想定しているのはもうすこし多様性を含むかもしれないミーティング(まちづくりの話し合いとかだと、いろんな利害を持つ地域のいろんな人たちとかだろうし)なのかな、というところはある。

通勤電車で読む『見えない私の生活術』。

見えない私の生活術

見えない私の生活術

アフォーダンス的ななにかのヒントになるかと思って読んでみたけれどまぁそういう本でもなかったけど。