なんとなく『オルフェの遺言』みた。昔の前衛芸術がいまコントっぽいかんじに見えてしまうのはきびしいことだな。

オルフェの遺言 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 東北新社
  • 発売日: 2001/07/27
  • メディア: DVD
これを録画したのはずっと昔のことで、VHSからDVDに落としたもの。なんかジャン・コクトーの映画で、みたいなことでとりあえず録画してたんやが、いまいち見る気がしないまま幾星霜、まぁなんとなくつんどくの中から手に取って、見てみたというかんじ。コクトーが『オルフェ』という作品を撮っていて、その続編というものらしい。でまぁ、ジャン・コクトーの何たるか、であるとか、あまりわからないで単にいま見ると、まぁこれはその当時的には前衛であり芸術であったのだろうなというかんじはするものの、それがそっくりコントっぽい感じに見えてしまってちょっときびしいなあと。基本的には、詩人コクトー本人という人が主人公というか視点人物というかで、この人が(途中では前作で死んだ人を蘇らせて道連れにしつつ)映画『オルフェ』の後?の世界をうろうろと彷徨して、いろいろな人や場面に出会い、詩を論じあったり、なんやかんや、という構成のようである。それで、メタフィクションみたいなテイストでもあるし、まぁいろいろな映画的な特殊効果というか、まぁ逆回転だったり、ぱっと消えたり現れたり透明になったりとか、そういう、まぁいまどき聞かない「トリック撮影」と呼びたくなるような仕掛けを入れたりして、まぁそれはリアルタイムでいえば前衛で芸術だったんだろうなあという気がするものの、だから、まぁねぇ、と。もちろんもっと昔でもっと芸術的で前衛的でしかもいつ見てもかっこいいみたいなのもあるじゃないか、ようするにセンスというかなんというかだよね、というふうにいってしまえば身もふたもないのだけれど、どうなんでしょう、たとえばいま私が全力でかっこいいと思っているものがしばらくあとにすっかりコントみたいになってしまうこともあるだろうわけだし、また、いま本作を見てチャチだなあとかコントみたいだなあとか思ってしまうことは自分に当時の衝撃を感じ取る感覚が欠けてしまってるのだという事もあるだろうわけである。

そういうわけで今年は50本ということのよう。ウディ・アレンをまとめ見したり、学生さん紹介のものを見たりした。
  
2019年・・・50本
2018年・・・48本
2017年・・・55本
2016年・・・45本
2015年・・・30本
2014年・・・87本
2013年・・・46本
2012年・・・41本
2011年・・・31本
2010年・・・21本
2009年・・・17本
2008年・・・38本
2007年・・・73本
2006年・・・62本
2005年・・・36本?

『悲しみよこんにちは』みた。

悲しみよこんにちは [DVD]

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ジーン・セバーグのセシルカットを見るべしということで。自動車。パスカル。ボーダーのシャツ。青い海。ほんのちんけな思い付きの罪。ヌーヴェルヴァーグ前夜。

『インビクタス』見た。

学生さんに紹介されたのを見るシリーズ、というか、イーストウッドかぁ、やたら積んどくがたまってていつかまとめ見しなくてはなんだけどなあ、とかなんとかいいつつ。学生さんのセレクションの理由としては、スポーツと人種差別、といったところがテーマで、例によって学生さんはあらすじを、淀川長治ばりにファーストカットから説明してくれて、それを聞いた第一印象としては、これラグビー関係あるのか?という。いやまぁもちろん、これ事実に基づいてるんだろうから、ラグビーだったんだからラグビー、ということなんだろうけれど、しかしこれ野球でもサッカーでも要するに優勝して盛り上がりさえすればなんでもいいんじゃないか?という。いや、なんとなく見る前の想像としては、黒人白人混成チームがあれこれもめながら団結を強めていきますみたいなはなし、それがラグビースクラムだのパスだのなんだののチームプレイのあれこれを見せ場にして表現されたら、なるほどラグビーで人種差別を乗り越え、それがまた分断されていた国を一つにしたのだなあ的な、かんじになるのかとなんとなく想像していたのだけれど、まぁさしあたりそういうことはなくて、まぁチームは最初弱かったのがマンデラのカリスマに打たれたキャプテンのもとがんばって強くなって勝ちました、というおはなし。で、まぁ、じつのところ当時の南アフリカではラグビーは白人に人気、ということのようで、チームもほとんど白人であると。で、黒人はそれまで国の代表チームなんか嫌っていて、あれはアパルトヘイトの象徴であると。だからマンデラが大統領になって、ワールドカップ自国開催を目前に、スポーツ協会の中ではチームのユニフォームや愛称を一新しようなどという動きがあったのを、マンデラが演説して止めましたと。寛容になるべきだとかなんとか。なんかそのへんがまぁ「スポーツと人種差別」のはなしといえそうですね。学生さんとは、スポーツでも種目によって人種や階層に偏りがあるよね、みたいなことをだべっていて、たとえば、などといいながら世界ランキングのWebサイトで顔写真を見ながら、ほら、ほら、うーん、ほら、えー、等々、いっていたわけだけれど、まぁようするに人種とは何かというおはなしにもなってくるわけだし、ぼんやりした日本人の目から見て顔写真でこの人は白人、黒人、等々、じつはそんなに言い当てられないというか、顔写真を子細に確認してああだこうだ言っているうちに、なんだかめちゃめちゃ差別主義者が有色人種狩りを行っているような気分になってきてなんとなくやめるわけである。あと、イーストウッドってたしか共和党支持の保守ジジイなはずで、Wikipediaとか見るとオバマやヒラリーを食い止めたトランプ消極的支持みたいなことも書いてあったけれど、そのへんと、イーストウッドがけっこうマイノリティを登場させるよねということの関連やいかに、みたいなことはちょっと喋ってた。もちろん保守主義者がイコール差別主義的でなくてはならない理屈などまったくないので、そりゃそれでかまわんのだけれど。
でまぁそんなこんなであとから見てみたら、まぁ学生さんの説明してた通りの内容だった。意外とラグビー映画してたようにも見えたけれど、個人的にはラグビーいまいちわかんないというのもあるけど試合シーンで手持ちキャメラ?で撮るというのがぴんと来なかった。ラグビーというのはゴールライン目指してひたすら前進、阻まれても阻まれても突撃、しかもボールを前にパスするといけませんというのがキモなので、キャメラのアングルがぱっぱっと変わるとどちらが前なのか後ろなのかがひとめでわからないので、ラグビーラグビーラグビーしたプレイの特徴が消えるのではないか、みたいなこと。まぁ、かといって、NHKのスポーツ中継でもあるまいし、俯瞰固定アングルみたいにする必要もないし、まぁキャメラがフィールドの中にいることで、肉弾戦であるということは(ごつ、ごつ、という衝突音を大きく入れることとあいまって)伝わるわけではあった。まぁしかしそのへんは、ラグビー映画というのをあまり見たことがないのでわからんのだけれど、アメフト映画で『エニイ・ギブン・サンデー』のゲーム場面がそれっぽくてよかったという記憶はある。まぁそれはそれ。

『カンフー・マスター!』。カンフーの話かと思ったらそうでもなかった。これアニエス・ヴァルダだったのだね。

カンフー・マスター! [DVD]

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少し前に、Twitterのタイムラインに、アニエス・ヴァルダの名前が何度か出てきて、なんとなく見ていたら『カンフー・マスター!』というのがアニエス・ヴァルダ監督作だったというのに気づく。そうだったのかと、ずっと昔に録画してたDVDをひっぱりだして見てみた。ジェーン・バーキンシャルロット・ゲンズブールの母親役でバツイチ、で、それがなんとショタコンで、シャルロットの同級生のチビの男子中学生とどうこうみたいなはなし。ゲームセンターの格闘ゲ―が得意な男子で、とかなんとか。そういうわけでカンフーの話ではまったくなかった。フランス映画だなあということでいえばフランス映画。

『脱出老人』読んだ。もうちょっと意外にものほほんとしたものを期待したらふつうにシビアな内容でした。

少し前にHONZで紹介されてたのを見かけて、興味を持ったんである。
『脱出老人』覚悟を決めたら福が来る? - HONZ
高齢化社会の日本のあれやこれやから脱出してフィリピンで老後を過ごす老人のノンフィクション。で、HONZのレビューに曰く、

最後に、本書は日本の高齢化社会をただ憂うだけではないことを付け加えておきたい。ここに「脱出」という視点ならではの産物を見て取れる。「幸せになる人もいるし、そうではない人もいる」と述べた上で、著者はこのように語るのだ。

ただし、フィリピンでの取材を通じてこうは言える。
日本でそのまま暮らしたら寂しい老後を送っていた可能性の高い高齢者たちが、フィリピンに来た“から”幸せになった、という事実だ。

移住することで得るもの、捨てるものとを天秤にかけ、様々な感情に折り合いをつけていく。その末に、日本では手に入らなかったような形の幸せを掴み取った「脱出老人」たち。彼らは日本社会の現状を映し出すと同時に、それを受け入れた上で幸せに生きていくための糸口も示しているのだ。
閉塞感から脱する上で最も重要なのは「潔さ」である。そんな言葉が聞こえてきそうな、爽やかな読後感の一冊だ。

というので、「爽やかな読後感」なのかしらと思いつつ、クリスマスを控えた学校帰りの電車で読み始め、あとは下宿で読んだけれど、まぁふつうにシビアな内容だった。日本の高齢化社会も、いまでこれなわけだから、自分が年を取るころにはもうどうなってるかね。「脱出」ねえ。

『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』。まぁ今がタイミングかなということで買ってきて読んだ。

言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか (集英社新書)

言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか (集英社新書)

通常授業期間が一区切りしたわけだが、今日は世間はクリスマスなわけじゃないですか、そんな日に下宿に引きこもっていたらだめなのではと、這うようにしてなんとかかんとか電車に乗り、市街地へ。人ごみの中を歩いたけれど、うすら寒いのと、大学生アルバイトかパートかというかんじの人たちがサンタ帽をかぶって寒空の下販売をしているのを見ていたたまれないかんじがしたのと、まぁ何冊か新書本を買うぐらいの口実しか思いつけなかったこともあり、まぁ結果としてはいたたまれないかんじで早々に帰ったわけであるけれど、ともあれ、大型書店で新書を見て3冊ばかり購入、それでとりあえずこれを読むなら今だろうということで夏に別の書店の棚で見かけてスルーしてたのを買って帰りの電車で読みかけて、あと帰宅してからクリスマスらしい何かを作って食べてからまた読んだ。ふだんアホみたいなことをやっているお笑いの人たちがM-1の審査員をやっているところを見るとあらためていろいろ考えてるんだということがわかるわけだけれど、この本もそういう、M-1の漫才のしくみとかについてとても理知的に語っているわけで、それはやはり面白いわけである。

『歴史学で卒業論文を書くために』、通勤電車と歯医者さんの待合室と下宿で読んだ。

歴史学で卒業論文を書くために

歴史学で卒業論文を書くために

著者の人はじつは職場のご近所の大学の先生であるらしく、そうかぁと様々な思いが交錯しながら読んでいた。歴史学で、というタイトルだけれど広く人文科学の卒論を書く人にも役立つところもあるように意識されているとのことで、まったくそのとおり、歴史学の論文のはなしだなあというところと、ここはうちの卒論にもすごく当てはまってしまうぞというところがある。うちのとこだとアンケートとかインタビューとかの調査を軸にした論文なので、歴史史料を軸にした論文とは、どうやら章立ての考え方も違うし、論文のメインの部分の書き方も違うようだ。でも論文を書く1年間のペースとか学生さんがやりそうなこととか気を付けるべきこととかはけっこう近い近いというところがあったと思うし、メインの部分が違うことを前提として読めればということで学生さんに勧められると思った。あとですね、まず章立てを書く、というのは自分的なやりかた・言い方と違うんで、自分はとにかくボトムアップ、章立ては最終的大枠的には「序論→方法→結果→考察」みたいな形(「IMRAD」と言うらしいですね→IMRAD - Wikipedia)に落とし込むとして、でも、自分が調べていった中で何がオチになるかというのは結局あるていど煮詰まってこないとわからないのだから、とにかく断片的なメモを書きためてそれを床にばらまいて構成すべし、というのがやはりいいと思っている(オチが決まらない段階で「章立て」を決めてひとつひとつ埋めていくような書き方をすると、途中で書きにくくなったり、いちばん言うべきはずのことを取り逃がしたりすると思う)。