通勤電車で飛ばし読み『専門看護師の思考と実践』。

実践報告24ケース。それぞれのケースがけっこうシビアな事例なので読むのしんどくて飛ばし読み。それはそれとして、実践報告というかたちだとまぁそうなるのだろうけれど、基本的には、ひと区切りついた後でふりかえってまとめて書いてるわけだし、「きれいにまとまった」ものが報告されている。もう少し、「思考と実践」そのものを見たいかなあという気はしなくはないが、それには、違う形の報告が必要になってくるんだろうな。

通勤電車で読む『ひらめかない人のためのイノベーションの技法』。いささか雑だったかな。

『自分の頭で考えて動く部下の育て方』の著者の人のをつづけて。著者のひとはそもそも、農学の研究者のひとであるらしく、すごい技術を開発したりしてる人であると。でも自分はひらめくタイプの人間ではない、そんな自分がこうなったのだから、その秘訣を伝授して進ぜよう、という構えの本。であるのだけれど、じゃっかん雑だったかなあと。えーとたとえば、「ソクラテスの産婆術」を(前の本でも)勧めてるけど、『メノン』というのは、

数学の素養のないソクラテスが、やはり数学の知識のない友人宅の召使を呼び、図形を前にして質問を繰り返した。召使は質問されるがままに「こうじゃないですかね」と答えるうちに、誰も発見したことのない図形の定理を見つけるシーンが描かれている。
(...)
無知な者同士が、問いを重ねることで新たな知を発見する。これがソクラテスの得意とした「産婆術」だ。

という紹介の仕方でいいんだっけ…?と思うわけだし、
山本五十六の「やってみせ…」には続きがあって

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

というのは、確信は持てないけれどなんとなくネットミーム化した自己啓発系ガセのような気がするし…
たしかに検索すると出てくるんだが…
山本五十六「やってみせ」(全文) 格言クリアファイル 大和ミュージアム関連グッズ販売店 - 戦艦大和ショップ
おなじように、
「群盲象をなず」の話にも続きがあって…とか、「「結節点」を牛耳るべし」と言うけどそこで言いたいことを表す言葉は「結節点」でいいのかなあとか、まぁそんなかんじで、まぁ、なんていうか、なんか雑じゃないかなあ、という気がするんである。
前の本は、まぁ序文のあたりはしょうじきこんな感じがけっこうあったけれど具体的なエピソードとかがでてきたあたりからはおもしろいところもあったんだが、本書は、けっこう全編にわたってこんなかんじなので、うーん、というかんじだったわけである。

通勤電車で読む『自分の頭で考えて動く部下の育て方』。部下っていうか学生さんですな。まぁふつう。

通勤電車で読んで、あとは学校の空き時間で。れいによってTwitterでみかけた「いいはなし」系のツイートからnoteに飛んで、ちょっと面白いかもと思ってその筆者の著書を買った的な経路で。ていうかこの本、もともとTwitterでそういうはなしを書いてTogetterでまとめたらバズったんで本にしましたみたいな本だそうだ。なので、まぁ、肝のところは140字とかそのぐらいでまとめられそう、というか、ようするに上司がああだこうだ言いすぎると部下を指示待ち人間にするよ、というのはまぁごくふつうの言い方ではあるから、そのいみではべつに珍しいことが書いてあるわけでもない。でまぁ、序章の三国志のはなしとかけっこううさんくさいので読み飛ばしたらいいと思うし、まぁおもしろくなってくるのは第3章ぐらいから。具体的なエピソードとかやりかたの話になるとおもしろい。べつに上司は部下を放置しろ、といってるわけでもなくて、ていねいにステップバイステップで教えて徐々にできるように育てましょう、という、まぁそらそやわということが書いてあるけれど、まぁ、ビジネス書一般そうなのだけれど、わかりきったことが書いてあるけどべつにじゃあ自分がそれをできるかというとできないので、ほっとくとすぐわすれるわけなので、定期的に摂取するとようやくすこし思い出す、それでほんのすこしだけ自分でもこころみてみるようになる、みたいな。まぁそんなもんである。
まぁこっちは、学生さんが大学ではつらつと勉強してくれるといいなあと思ってこの本を読むわけで、まぁFDの本みたいな用途でよむわけだけれど、そういうFD的な内容がけっこうビジネス書にはざっくばらんに書いてあるので、まぁ読もうという気になるわけである。

通勤電車で読む『無駄なマシーンを発明しよう!』。

ときどきTwitterで流れてくる無駄なマシーンを発明している人の本。子ども向けの本というテイで、漢字に全部フリガナが振ってある感じ。100均グッズをノリでつけたようなものからはじまって、Arduinoという小さいコンピューターとかセンサーとかを使ってプログラムを組んで制御するところまで。まぁ、出来上がる無駄マシーンそのものにかんしていえば、たまにTwitterで流れてきてちょっと面白い、ぐらいのかんじなので、本で読んで面白いかというとまた別ではある。それよりやはりArduinoという極小のコンピューターのボードがこんなに手軽にしょうもないふうに使えるのだというのが今風でもありおもしろい。

通勤電車で読む『考えるとはどういうことか』。著者のひと流の「哲学対話」のやりかたの新書本。エンカウンターグループみたい。

通勤電車で読みかけてのこりを下宿で読んだ。タイトルは「考えるとはどういうことか」となってるけど、この本は思考ということの本質を明らかにするものではない。サブタイトルに哲学入門、とあるけど哲学の入門書という感じでもない。著者のひとは「哲学対話」というのをやっているひとで、その考え方とかやりかたとかが書いてある。世の中に哲学カフェというのがあるけれど、まぁそれ的だなあと思いつつ(また、ちょっと検索したら、著者のひとはじっさいに哲学カフェという看板でもやったりしてるようだし、この本が哲学カフェの入門書としてつかわれてもいるみたい)、読んでみた自分的な印象からすると、「エンカウンターグループ」みたいなかんじ。つまり、いわゆるふつうのいみでの「哲学み」が希薄にみえるし、それでかまわないのだといっている。この本に書いてる段取りとルールでやれば、それは哲学対話であると。たとえば会社の職場内で上司部下みんなで定期的に哲学対話をやっている、あるときは「すきなご飯のお供は何か?」ということを対話して大変盛り上がった、いわゆる深まりはないけれどそれはそれでよくて、みんな毎回楽しみにしている、みたいな。それでも「問いかけ」があり「語り」が「受け取られる」「場」がなりたっていればそこに「考えること」がなりたつ、それが哲学だよ、という。わたしたちは「考えないこと」ばかりを教育訓練されてるよ、だから「考えること」をできるようになることで、「自由」を得るのだよ、それはまったく感覚的に実感できるはっきりした身体的な経験なのだ、というかんじ。まぁおっしゃることわからんではない。まぁ自分の中ではそういうのは「エンカウンターグループ」という箱に入ってたし、「哲学」というのは別の箱なんじゃないかと自分の中では整理されてるんだけれど、まぁそれはそれ。
ちなみに検索してたら似たような感想を言っている人がいた。
梶谷真司『考えるとはどういうことか』の違和感~「哲学対話」と「対話」は同じものか?│アテナイの午睡
まぁたぶんこの本を読んだ人はこう思うだろうけれど、まぁそれはそれということなんだろう。
学生さんに勧める新書本としてはわるくないっちゃわるくない。「哲学」枠の二番手、というかんじか。つまり、「哲学」枠の一番手には、たとえば、以前しばらく勧めてて好評だった野矢茂樹『哲学の謎』あたりを置きに行って、二番手に変化球で本書、みたいな。そんなイメージ。

散髪したと書いておくライフハック。

前回散髪してからまた2か月近くたって、そろそろモサモサしてきた。まだいけそうな気はするものの、なにしろコロナ第6波が始まった昨今であるから、マスクを外さざるを得ない場所にはこれからどんどん行きたくなくなるだろうと考える。いまの人口10万人当たり感染者数から計算して(いま出ている数字は1週間ぐらい前の状況なので今現在の状況は1週間後の数字を予測しつつということになるのかな等々)、まぁふつうにかんがえてまださほど気にするほどのリスクではないよねと思いつつ、感染拡大のスピードからいって、ここからしばらくは1日ごとにどんどんリスクが上がっていくだろうと考える。なので思い立ったが吉日…と思ってから数日ぐずぐずしたあげくようやく重い腰を上げる。で、よく行くところをのぞいたらお客さんが2人ぐらい待ってたので入るのはやめて、なんとなくいつも素通りしていた別のところに初めて入ると、ちょうど前の人が終わったところだったようで、他のお客さんもいなくて、ちょうど暇になりそうなところに入ったようだったのですぐ切ってもらえてよかった。