寺島&安原のジャズ本と、電動マイルス

れいによって時間があいたので売店で買って、通勤電車でさらっと読み上げた。

JAZZジャイアンツ名盤はこれだ! (講談社プラスアルファ新書)

JAZZジャイアンツ名盤はこれだ! (講談社プラスアルファ新書)

寺島という人は、もひとつ好きになれないジャズ評論家で、なぜかというと、寺島じしんの好きなものを褒めるときには好感が持てるのだけれど、寺島じしんの嫌いなものをけなすときにはどうにもつまらないからで、つまり、好き嫌いというのは本質的に浅薄で盲目的なものなわけなので、なんのりくつもなく浅薄に好きだ好きだと告白するような文章は、たとえその対象が私の知らない、あるいは私自身の好みとは違ったりするものであったとしても、真摯なところが痛ましくも滑稽で、胸に迫るところがあっていいのだけれど、嫌いなものを浅薄な理由で嫌いだ嫌いだと決め付ける文章は、ごく単純に浅薄なだけで不快だ。
で、自称スーパーエディター・天才ヤスケンこと安原顕の編集本ばかりでなくジャズレビューにも多少お世話になったことがあるのだけれど、この対談本ではあぜんとするくらい浅薄になってた。なんか、ひとのことをすぐにゴミとかクズとか連発しているので、なんかインターネット匿名掲示板で自我肥大させているひとたちのことを思い起こして暗い気持ちになった。
ようするに、だから、浅薄どうしで、基本的に悪口の連発の本で、これは不愉快だった。
で、
何がどう浅薄かというと、たとえば「電化したマイルスは商業主義に走ったからダメ」みたいな、それこそまるきり30年前の物言いで、そういうことをいまだに言い合っている対談本が売られているのだから、ネットアイドルと呼ばれてクヨクヨしている菊地さんの存在価値も、あながちないわけではないのだとおもう。
いやじっさい、『ビッチェズ・ブリュー』を聴きなおしながら、これのどこが商業的なのですかと思う。これはやはり、売れない音楽だし、「わけわかんない」音楽だと思う。それこそ、DCPRGを聴くようなつもりで聴くと楽しい(順序が逆なのだけれど)。それってしかし、商業的にどうなん?ということやと思う。