高野文子『るきさん』『棒がいっぽん』と『ユリイカ』の特集。

下流社会』を読んでいたら、「かまやつ女」という類型がでてきたのだが、べつに女の子たちがかまやつひろしを目指しているわけではないわけで、そういういみでは、世代的に上になるけれど、『るきさん』だなぁ、いまでもたぶんあるジャンルの女子からは共感を集めつづけてるんじゃないかなあ、とおもっていたのだが

るきさん (ちくま文庫)

るきさん (ちくま文庫)

そんなこんなであれやこれやで部屋をひっくり返していたら、3年前の『ユリイカ』の高野文子特集がでてきて、これはやはり充実していた。やればできるじゃないか、ユリイカ。ふたつの対談、大友克洋との対談と、魚喃キリコとの対談、どちらもよかった。
ユリイカ2002年7月号 特集=高野文子

ユリイカ2002年7月号 特集=高野文子

第34巻第9号 巻 (2002/06)

目次

マンガを描く意味
〈描くこと〉と〈描き続けること〉の不安と恍惚
■『黄色い本』の背景にあるもの■床の上に散りばめられている「世界」■発想している時が面白い■新しくありつづける「しんどさ」■集中して見て描く・・ 高野文子大友克洋
新作『黄色い本』をめぐって
「黄色い本」を分解する 竹宮恵子
生、病、死  日常生活の副作用 野村雅一
本を読む人を読む 「友人」をめぐって 赤木かんこ
記憶のアーカイヴ
奥村さんのお茄子 (漫画)
幻のヴァージョン
単行本化に際し表紙以外全部ボツにして描き直された「奥村さんのお茄子」。“描きたいもの”と“描く手”“見る目”の間における作家の格闘が、この改稿前のヴァージョンによって逆照射されていく__。 高野文子
高野文子とは何か
るきさん》はどこから旅立ったのか 北村 薫
あの瞬間へ 川上弘美
高野文子》の快調と心配 天澤退二郎
進化ではなく 梨木香歩
細部の魅力 蜂飼 耳
受け継がれるもの
女子にとっての《まんが道
■女子たちの「投稿時代」■女子たちの「仕事とパートナー」■女子たちの「仕事の秘密」 
高野文子魚喃キリコ
イラスト&エッセイ
若手マンガ家による高野文子讃   榎本ナリコ すがわらくにゆき 冬野さほ
高野文子を読む
ダンス 澤野雅樹
神と虫のポリフォニー 斎藤 環
おばあちゃんになるということ おじいさんではなく 香山リカ
高野文子のマンガはなぜ速読できないのか 阿部嘉昭
マンガ表現の拡張
高野文子なるもの」の系譜 竹熊健太郎
保守がこうじて先鋭的になるマンガ家? ヤマダトモコ
高野文子はいかに「没入」を描いてきたか 伊藤 剛
天真爛漫百貨店 「ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事」 高山 宏
高野文子ワールドへの招待
高野文子 全著作解題
『絶対安全剃刀』から『黄色い本』まで、高野文子の軌跡を辿る 斎藤宣彦+横井周子

それで、自分もちょうどそのころ買った「棒がいっぽん」という作品(同名の単行本に、前面改稿のうえ収録)が、やはりすごかったということであるのだ。

棒がいっぽん (Mag comics)

棒がいっぽん (Mag comics)

キャメラの動きによって時間と空間を伸縮させる、そのことだけで一本の作品を成立させてしまうすごさ。わたしたちは、ぼんやりと窓の外をながめていたら、その窓の外の景色をみているはず、とすればその景色の中にいる、たぶん遠くの学校の校庭で遊んでいる子どもたち一人一人を見ているはず、そのさらに背後のフェンス越しに道路を通り過ぎる自動車をみているはず、そしてその自動車の窓ガラスの運転手の横顔や、助手席に乗っている運転手の愛犬のようすも、みているはず、なのだ。そうした瞬間瞬間がつみかさなって、わたしたちは無限にたくさんのものをみているし、その無限に堆積した記憶とともに、わたしたちはいま生きている、ということなわけである。すごいですね。なんじゅうねんも前の、とくに何もなかったある日のある瞬間を再生して、どんどん視覚的にズームアップしていって、その瞬間の、なにがあるわけでもない人びとの交錯をうかびあがらせていく、そしてどんどん拡大をしていくと、かすかに、誰ともわからない子どもが歌っている歌がきこえてくる − 「ぼうがいっぽんあったとさ・・・」とかなんとか。ぐっときますね。