例によっておとなり日記、というのをちらほらと見ていたら、どういうぐあいだかこちらのブログがあがっていて、おもしろそうだと思ってあれこれ見ていたら、医療訴訟について議論しておられる。
コメント欄での議論も建設的なかんじで、勉強になる。
鑑定医の鑑定書を検証すべし - 新小児科医のつぶやき
トンデモ鑑定書の再検証の必要性を考える - 新小児科医のつぶやき
簡単にまず医療訴訟の構図をまとめます。
1 訴訟は誰でも自由に起せる。
2 訴訟で実際に論議するのは原告および被告の代理人(弁護士ないし検察官)である。
3 代理人は裁判官に各々の主張を納得させるのが目的である。
4 被告側の過失の主張、またはそれに対する原告側の反論の論拠は鑑定書に基づく事が少なくない。
5 判決を下す裁判官も最終判断で鑑定書を大きく参考にする。
6 裁判官を含め法曹三者は医学に素人である。
つまり医療の素人である法曹三者は、主張や判断する論拠を鑑定書に依存している部分が多いという事です。これは考えれば当然の事で、知識の無い専門分野のさらに高度の判断の是非など出来る能力は無いからです。そのためここでトンデモ鑑定書が出てきても、その善し悪しなどは彼らは判定する能力は無く、むしろ盲従して医学の正論というか絶対の正解として法廷ではのさばる事になります。
医療訴訟の事を知る弁護士もトンデモ鑑定書が出てくれば非常に苦慮するとの事です。一旦提出され証拠として認められた鑑定書の重みは相当なもので、これをひっくり返す論証を行なうのは困難を極めるという事のようです。何と言っても被告側の主張の論拠の絶対の証拠ですから、法曹関係者以外には理解し難いぐらいの絶対性を有しているという事です。
医療関係者はいわゆるトンデモ判決、トンデモ訴訟に戦々恐々としています。このトンデモ判決、トンデモ訴訟が起こる大きな原因の一つにトンデモ鑑定書の存在があるのです。トンデモ鑑定書は当該訴訟で被告側を窮地に追い詰めるだけではなく、その後の法曹関係所が類似と判断する訴訟の誘因になります。つまり「こういうケースではああいう鑑定書があって原告側が勝訴した」は重大な先例となり、訴訟の勝算の重大な基礎となるのです。
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こういうもんだいを、教育とか他のジャンルで考えるとどうなるか。
ていうか、訴訟っていうきっちりとしたプロセスすら機能してないところで「トンデモ有識者」がメディアに露出して世論を形成したり、それでもって重用されたり、する、というのがあるかも。
まぁ、医療において医療関係者の有する専門性と、教育において学校現場の先生がたの有する専門性、あるいは教育研究者の有する専門性、というのは、かなり性格が違う、というのもあるかもしれないし。