『Shall we dance?』みた。

テレビでやってるなあ、と思っていて、でも見ないよなあと思っていつつ、途中からやっぱり見た。

Shall We Dance ?(初回限定版) [DVD]

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えー、オリジナルとは別物の映画で、その別物ぐあいが想像以上だった。
オリジナルのいちばんの出発点として、日本では「社交ダンス」というものの存在位置がないよね、でもやってるんだよねえ、というピンポイントのテーマ設定があったと思うのだけれど、
アメリカには、なんだかんだいって「社交ダンス」の存在位置って、ないわけでもないんであって、そうすると、「社交ダンス」って言うテーマそのものがもともともっていた、非日常とか、ありえないとか、おもろうてやがてかなしき、みたいなところとか、夢のような、とか、そういう含みがぜんぶなくなってしまって、ベターっと、リチャード・ギアとジェニファー・ロペスがダンスしましたという映画になってしまう。
役所公司がおどっていると、さいごまで、おどらされてる感が抜けないわけで、抜けないながら、地に足がつかない夢の世界ではにかみながら喜びも感じているのもわかるわけでそのへんがよかったのだけれど、リチャード・ギアがおどっていると、自分でおどりたくてちゃんと自分でおどっているようにしか見えない。そうすると、現実の世界の一角で現実のリチャード・ギアと現実のジェニファー・ロペスが現実の社交ダンスをやっているというだけのはなしで、なんかオリジナルの、お伽噺みたいなニュアンスがなくなってしまう。
そうすると、現実の夫婦関係と現実のダンス教師との関係との葛藤を現実的に解決しないと話があわなくなるので、いっぽうではリチャード・ギアが妻と熱烈に踊って夫婦愛を再確認みたいな現実的シーンを盛り込まないといけなくなる。トゥーマッチである。原日出子よかったのに。
あと、アメリカだと、人種というのが目に見えて扱われることになるし、とくにダンスだと、ラテン系だとそのまんまやんか、ということになるのだけれど、田口浩正のやっていたデブの役を黒人青年がやったのはよかったとして、かんじんの草刈民代がジェニファー・ロペスでラテン系?っていうのがなんかこれまたトゥーマッチだった。一番の見せ場はワルツじゃないのか?と思うのに、大会の前夜に草刈民代がラテンダンスで情熱的に役所公司にからみついて踊っていたらやはりちがうじゃんと思う。のわりに、竹中直人こそラテン系で再現してほしかったところがそうなってなかったし。
うーん、そういうわけで、表面上そっくりながら本質的に違うジャンルの映画だなあと思いながら見ていたのだけれど、それにしても不思議だなあと思ったのは、この『Shall we dance?』を、アメリカ人は、どう見たのかなあ、ということ。スポ根でもないし大人の恋愛モノ、でもないし、家族モノ、でもないし、コメディ、でもないし・・・
オリジナルのばあいは、アメリカ人が見ても、「ああ、日本には「社交ダンス」ってないんだなあ」というところさえ納得してしまえば、「大人のお伽噺」としてそれなりの理解はできるだろうとおもうのだけれど、本作は、なんか中途半端に感じたのではないだろうかしら。