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教育改革ネタで、言説のポリティクスで、わたくし的には藤田先生に期待。
日程的にいうと、あべちゃんの命運がどうなってるかによって、教育改革のこんごのすすみぐあいがどうなっちゃうかよくわからない時期ではないでしょうか?
そのへんも楽しそう。
課題研究1
「教育社会学のポリティクス ―教育改革をめぐる言説戦略― 」
9 月23 日(日)14:10〜17:00
10 番教室
司会者:小玉重夫(お茶の水女子大学)
報告者:
1.大内裕和(松山大学)
教育基本法「改正」と教育改革をめぐる言説を検証する
2.藤田英典(国際基督教大学)
ポストモダン言説空間・政治空間と教育研究者の役割
3.宮台真司(首都大学東京)
教育神話の解体 ―教育は子どものためにあるのでも、国家のためにあるのでもない―
<要旨>
近年の目まぐるしく変化する教育改革の動向に対して、教育社会学には何ができるのだろうか。そのありうべき選択肢のひとつは、教育社会学者が、政府の政策・施策に対する政治的コミットメントの度合いを高めていくこと、さらに、政府のみならず世論や実践の場に対するいわばメディエーターとしてそのプレゼンスを高めていくこと、以上を要するに、広い意味での現実政治へと積極的に近接していく方向性であろう。事実、教育社会学者が「専門家」として各種審議会に参加することで、これまで蓄積されてきた知見を政策として反映させようとしたり、一般書の出版や新聞・大衆誌への寄稿など様々なメディアを通して、現在提案されている政策について問題を提起し、代案を提示していく試みが果敢におこなわれている。
一方、言説のヘゲモニー争いが繰り広げられている現実政治の場にあって、その言説が学問システムとは異なる流通経路にのることで換骨奪胎され、発言者の意図とは別に、社会的・政治的に消費・利用されたり、弱毒化されてしまうことも多い。新自由主義的な経済理論の隆盛、一般大衆の漠然とした不安、ポピュリズム的な実践などが交叉する不安定な基盤の上にあって、その言説的優位性は、果たしていかに確保できるのだろうか。
ここで問われるべきは、現在の学問的言説の位置取りを、その文脈から理解していくこと、そして、その的確な認識の上に立って、教育社会学者が何をすべきかということについてあらためて考えてみることであろう。
このような問題意識のもと、本課題研究では、教育改革のプロセスに、これまで積極的にコミットしてきた大内裕和氏、藤田英典氏、宮台真司氏のお三方に報告者としてご登壇いただき、それぞれの経験をふまえつつ政治空間内における学問的な言説の可能性と困難さについて批判的・反省的に語り直してもらう。と同時に、その地点から、教育改革をめぐる言説の布置を決定している不可視の力を浮き彫りしながら、今日、言説空間の位相自体が大きくシフトしつつあることを 確認し、その内部にあって言説を戦略的に仕掛けていく方途、教育社会学の現実政治へのコミットメントのあり方について模索していきたい。
あと、
エスノメソドロジー方面でいうと、(一般の部会はまだチェックしてないですが)課題研究でこういうセッションが。
課題研究2
「質的研究者は何を語ろうとしているのか」
9 月23 日(日)14:10〜17:00
41番教室
司会者:古賀正義(中央大学)
1.原田 彰(広島大学名誉教授)
テクストとしての教育実践記録と文芸作品
2.塚田 守(椙山女学園大学)
インタビュー調査で聞き取れること
3.好井裕明(筑波大学)
質的研究はなぜおもしろくないのか
<要旨>
本課題研究は昨年度に引き続き、教育社会学会のウチとソトという複眼的視点から、質的研究のあり方をめぐって議論を行っていく。特に今年度は、スクール・エスノグラフィ以外に、教育現実への接近をはかるのにどのような多様な方法があるかに焦点を合わせる。
第一報告者の原田彰氏には、これまで教育社会学において十分な展開がはかられたと言い難い教育実践記録という「素材」に焦点を当て、長年「文芸の教育社会学」を追求してきた立場からその可能性をお話しいただく。
第二報告者の塚田守氏からは、教師のライフヒストリー・インタビューの豊富な経験を踏まえ、研究者の限定された関心からともすればこぼれがちな、インタビュー現場での豊かな語りからの展開可能性を中心にお話しいただく。第三報告者の好井裕明氏には非会員の立場から、質的研究の「マニュアル化」が進行する今日的状況にかんがみて、改めて「質的」とはなんなのか、そして研究が「おもしろい」とはどういうことかについて問題提起をしていただく。