黒沢清『映画のこわい話』たむらまさき・青山真治『酔眼のまち-ゴールデン街 1968~98年』読んだ。

映画のこわい話―黒沢清対談集

映画のこわい話―黒沢清対談集

これはやはりいい。巻頭の、青山真治との対談で途中からいきなりガチになるところとか。映画教育についての高橋洋との対談とか。

で、青山真治やはりいいのかな?と思って、非常勤先の近くの、授業前にいつも立ち寄る本屋で
酔眼のまち-ゴールデン街 1968~98年 (朝日新書 79)

酔眼のまち-ゴールデン街 1968~98年 (朝日新書 79)

を購入(他にも買ったけど)。
たむらまさきというのが、青山真治の映画でしばらくキャメラをやっていた人で、そもそも小川紳介三里塚』シリーズをやっていたという人。で、この本、黒沢清の↑上記の本をamazonで買おうとしたらいっしょに買えと薦めてきたのだけれど、そのときは、「なぜにゴールデン街の本を?」というかんじで、買わなかった。まぁ、新書なので本屋で手にとって買おうと思ったってのもある。
それでも、買って読んでみたら、ようするにごくふつうに映画についての、カメラマンたむらまさきに対する聞き書きの本だった。まぁ、じゃっかん、映画そのものについての細かい話題の分量にくらべて、ゴールデン街を中心とした人間関係の話題(ゴールデン街ハローワークだった、ということで、そこでの出会いから仕事が発生して映画ができていったみたいな話も)の分量がおおいってのはある。
しかしまぁ、これは映画の本だなあ。
なのに、なぜこんなタイトルになったのかというのは、想像するに、たむらという人の趣味ではないかと。このひと、『映画の授業―映画美学校の教室から』でも一章を書いているのだけれど、
映画の授業―映画美学校の教室から

映画の授業―映画美学校の教室から

なんかこう、いわくいいがたいセンスなのである。賛とも詩とも語録ともつかないポエムみたいなものを相当の分量、だらだらと書いていて、「うーむ、年配の人に敬意を表するとかいって逆らえないんだろうなあ」と思ってた覚えがある。なんか、いかにも年配の人が韜晦趣味を気取ったらこうなったみたいな。世代的なものを感じますが。それで、『ゴールデン街』も、ぱっと手が出なかったってのもある。