『テヅカ・イズ・デッド』読んだ。マンガがつまらなくなったというのは嘘で萌えマンガがあるじゃないかみたいなことか?

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

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まぁなんていうか、乗れなかった。まぁ、べつにマンガ学を専門でやろうというわけではないので乗れないところはずんずん無責任に読み飛ばしたけど。
萌えマンガとかキャラとか言われてもピンとこないし、テレビの深夜にアニメをやっているのを見かけても、稚拙だなあ、と違和感しか感じないので、まぁこの本の人とは感覚が違うんですということだろう。
あとまあ、この著者の人とはほぼ同年代なのだけれど、自分は少女マンガでしかもほぼ白泉社系と集英社系だけだったので(小学館とか、講談社とかはスルーしてた)、まぁ、ひとくちにマンガといっても実感として接点がないのだろうな。
あと、内容的に言うと、マンガを構成するのは「絵」と「コマ」と「言葉」である、という通説に対して、「キャラ」と「コマ構造」と「言葉」だ、と言ってるのが、しっくりこない。「キャラ」って言いたいのはわかるけれども、なんか論理的に違う次元のものを持ってきてる気がしてどうも座りが悪い。もちろんそれは承知の上で言っているのだろうけれども。たしかに、マンガ読者は「絵」を見てるんじゃなくて「キャラ」を見てるんだ、といわれればそういう気もするけれど、そんなことを言えば「言葉」を見てるわけでもなくて「声」として聴いてるんだ、とだって言えなくもないし・・・それに、『NANA』をひきあいにだして「キャラ」が弱いとか言ってるけど、それは少女マンガ一般がそうだろうっていうか、そんなこといったら老若男女の描き分けが放棄された花田祐実とかの立場はどうなるのかってことだ。