通勤電車で読む『高校生からのゲーム理論』。やっぱりピンとこない。

高校生からのゲーム理論 (ちくまプリマー新書)

高校生からのゲーム理論 (ちくまプリマー新書)

ゲーム理論、って、昔からピンと来なくて、でもこれだけ普及しているわけだしあれだけ偉そうにしているわけなので、きっとほんとうはちゃんとしてるのだと思う。ゲーム理論が社会科学を塗り替えつつあるとかいってるわけだし、ゲーム理論がわかりませんというとものすごくケイベツされたりするふんいきもなくもない。なのでたまに気になって入門書とか見てみるのだけれどやっぱりピンとこない。
共犯者が黙秘を守ってるときに囚人が自白する、ということがなぜ「3」なのか、漢軍が「背水の陣」を敷いて趙軍が攻撃するときなぜ漢軍の利得が「100」で趙軍の利得が「−100」なのか、「1」と「−1」や、「200」と「−200」や、「115.3」と「−96.825」じゃなぜだめなのか、さっぱりわからない。だいたいその数字の単位が何なのかがわからない。簡略化してモデル化したというのであっても、何をどういう手続きで簡略化したのかがさっぱりわからない。たとえば現実の戦闘をたくさん観察して、たとえば漢軍が勝利して略奪を行って100円?儲けました、そのぶん趙軍の兵糧が100円分減りました、みたいな事実があれこれあったとして、それをもとに平均値なりなんなりを出して妥当なモデルを作った、みたいなことなのだろうか。よくわからないけれど、とにかくそういう具体的で現実的な対象がもとにあるのでないと、「簡略化」もへったくれもない(「簡略化」ってのは、「何か」を「簡略化」することなわけで)し、ゲーム理論的に「分析」した、などという言い方もできないはず(あたまの中で勝手に都合よく作ったモデルをどうこう言っても、何を「分析」したことにもならないわけで)。
あと、まぁふつうに常識的に考えると、ものごとの選択肢はいろいろあるでしょう、と思われるわけで、選択肢を限定して利得の構造をマトリックスに描けるという前提に立った時点で結論は出ちゃってる、ようにも思われなくもない。(えー、ところで↑「常識」というワードが地雷でもあって、たとえば「三目並べ」の「ゲーム」の選択肢について「常識」をブリーチする実験を読んだ事があるけれどそれはゲーム理論ではないのでこの話題とは関係ないですね)
で、まぁもちろん、そういったことは誰だってまず最初に感じる感想であって、そこのところはとうぜん本当は納得できる理屈というのがあった上で、たぶんじっさいのゲーム理論はもっと複雑で高度なモデルでシミュレーションかなんかやって現実に成果を挙げてるんじゃないかな、と思うわけで、そりゃまあそうなんだろうとは思う。
でも、誰もがまっさきに感じる疑問について、どの入門書を見ても何も書いてないってのはどういうことなのか、とも思わなくもなくて、だって入門書ってそういうもんでしょう、と思う。なんかこう、ゲーム理論業界の人って、そういう「ごくふつうの一般人の世界」と「理論モデルの世界」の落差みたいなものに無感覚なんじゃないかって思う。
この本では、まぁ著者の人が思いつきであれこれ例をあげて、利得の構造のマトリックスを描いて「分析」して「だからやっぱりこうなるのです」みたいなことを書き並べてる。たまにゲーム理論かんけいなくないか?というようなエッセイもまざっていて、著者のひとがらはしのばれる。でもこれを入り口にしてゲーム理論入門することは、自分にはまたしてもできなかったです。やれやれ。