通勤電車で流し読む『震災のためにデザインは何が可能か』。2009年の本。予感する力の欠如。

震災のためにデザインは何が可能か

震災のためにデザインは何が可能か

ふとした勢いでAmazonで見つけて、これ読むなら今かと思って購入、通勤電車で流し読み。博報堂とか全国の大学とかが連携して、震災のためにデザインにできることを提案する。この手のデザインの本って、アイディアやコンセプトがヴィジュアル化されてて見てておもしろい(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20070529#p2http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20081218#p2http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20090321#p2)のだけれど、どうもこの本に関しては、しょうじきあまりいい気はしなかった。2009年の段階で、震災、というのをテーマにして、もし東京に阪神大震災級の地震が起こったら被災者数十万人が家を失って避難所生活をするようになる、というのをテーマにして、そこで役立つデザイン、というのをコンペ的にアイディアを出し合って本にしたもの。なにがいい気がしなかったかというと、けっきょくこの本で提案されているさまざまなデザインが、のんびりと安全圏で想像された単なる思い付きのように見えてしまうってところがあると感じられたから。たとえば食糧不足が予想されるので街路樹には実のなるものを、学校の池には魚を、また、壁土から取り出された藁もおいしく料理できます、みたいな下らない(と思える)コンセプトをおしゃれな感じで提案されても、ちょっとなあ、と思えてしまうんである。あるいはもちろんもうすこしぐらいリアリティのありそうなアイディアも並んでいるのだけれど、たぶん現実の避難所で現実に生活している人たちの生命力とブリコラージュする力、あるいは現実のニーズが現実に現れてから知恵を出して作られたものの現実性、のまえでは、暇な学生だの広告代理店デザイン部だののいい気な思いつきに見えてしまうんじゃないか、と思えちゃうところ。なんていうか、いい本やいいコンセプトには、現実を予感する力があるように思われるし、それにくらべるとこの本には、現実を予感する力が欠如しているように見えてしまうんである。