連休にぼそぼそと読む絲山。『エスケイプ/アブセント』『ラジ&ピース』。

エスケイプ/アブセント (新潮文庫)

エスケイプ/アブセント (新潮文庫)

ラジ&ピース (講談社文庫)

ラジ&ピース (講談社文庫)

さしあたり先日ブックオフで買っておいた文庫本は読了。わるくなかった。
ところで「エスケイプ」の主人公の男は作者と同じ年齢で、左翼活動をやっていたけどやめた、という設定。で、これから同年輩や年下の一般人たちとつきあっていかないといけないけど彼らが何を考えてるのかわからないし途方に暮れるだろう、みたいな文脈で「おれは団塊のおっさんを喋らせることならいくらでも慣れてるんだが」と独白している。それでこの文庫本の解説は高橋源一郎で、まぁようするに日本文学の主流が左翼くずれによって描かれた左翼くずれの話であるという見立てを披歴しつつ、ようするに自分のことをべらべらと書いているので、なるほど「おれは団塊のおっさんを喋らせることならいくらでも慣れてるんだが」というのはこういうことなのかと納得する。高橋源一郎という人は若手の文庫解説のときには(あるいはいつでもか)思い切り手を抜くわけで、この程度のことを書いておけばというようなことを適当に書いてしまうところがあるのかもしれない。それは、なめてるということなのだろうけれど、いつのまにかそんななめたまねをしていたら単なるおじいちゃんの繰り言にしか見えなくなってしまう時がくるというもので、「おれは団塊のおっさんを喋らせることならいくらでも慣れてるんだが」という主人公の出てくる小説は、左翼くずれを登場させても、また「偽神父」というこれまた日本文学っぽい人物を登場させても、ちゃんと2000年代に書かれた小説になっていて、団塊のおっさんの自慢の昔話をあらかじめ空回りさせるようにはできているようなのだ。主人公と同年齢の著者は、ほかの作品も含め、世代的なものを書いてるようにも見える。