風呂で読む『政治と思想』。いつもながらの柄谷節がわるくない。

政治と思想 1960?2011 (平凡社ライブラリー)

政治と思想 1960?2011 (平凡社ライブラリー)

駅ビルの地下の書店で見かけてなんとなく購入。インタビューで、60年安保から、最近の震災以降にかんしてまで、まぁざっくばらんに政治について語っていますという本。ていうか、ようするに重要なことといえばデモについて語っているっつってもいい。代議制がそれじたいとしては寡頭制にほかならないのはモンテスキューが言ってたとおりなんで、選挙をやっても個人は匿名の一票となって、つまるところ支持率という統計的な存在にしかならないんで、それだけをたよりにしては民主主義がうまくいかないぞと。それで、ひらたくいうと「人がデモをする社会」、つまりデモという直接行動の経路が伴ってはじめて民主主義がなりたつ、と。欧米はじめ諸外国では人々はデモをやる。日本では、60年安保で「人がデモをする社会」が成立しかけて、でもうまくいかなかったが、震災以降、デモというのが出てきた、と。
このへん、『一般意思2.0』よりふつうによかった。デモってめんどくさいんだけど、そこのところをえいやっと乗り越えて、参加する。ひとりで参加ってのはハードルが高いので、まぁ、誘い合わせてすなわち連帯をして参加する。そうすると、ゴキブリみたいに、1人いたら100人、みたいな勢力になる、と。やっぱり民主主義って、まぁそういうどっかしらフィジカルなめんどくささをともなう政治参加というのがあって成り立つのだと言われれば、なるほどと思うし、それ抜きにネットがどうのとか言ってたり、まぁ匿名でネットでやいやい言っててもファシズムにしか行きつかないし、けっきょく人気者の政治家を祀り上げて依存することにしかならないよ、と。なるほど。ネットが政治を変えることはない、ただ、「人がデモをする社会」になることで人々がネットを活用するようになるのだ、と。なるほどね。じつにベタでまっとうなことを言っている。