通勤電車で読む『ホワイトカラーは給料ドロボーか?』。

ホワイトカラーは給料ドロボーか? (光文社新書)

ホワイトカラーは給料ドロボーか? (光文社新書)

タイトルは例によって(光文社新書はその傾向が若干強いか)、下品であざといけれど、内容はさほどあざとくない。ホワイトカラーの生産性は低いとか、国際的に日本は低いとか、いろいろ言われているけれど(そしてそういう言われ方をしながら、つまり給料を下げたり労働条件を悪化させたりの圧力がきつくはたらくのだけれど)、そうでもないよ、というのがまず最初のお話。
そのうえで、そもそもホワイトカラーの生産性ってよくわからないよね、というところから、経済学のおはなしに。で、こまかいところは読み飛ばしてけっこうとして、そうするとまぁ、さほど知らない話は書いてなかったけれど、スッキリした議論になってるので整理になる。
まぁ、ひとそれぞれ能力に違いがあり生産性にも違いがあるよ、だけど客観的に見た能力や生産性に対して、報酬が見合ってないよ、ということは、まぁ起こりうる。で、それは、能力や生産性を客観的に測るモノサシがないからね、という面もあるし、また、ホワイトカラーの仕事って組織でチームワークでやるのでひとりひとりの生産性を細かく評価とかしないから結局平均値で見ちゃうよね、だから有能な人ほど損するよね、という面もある。でもあんまり不当なら困るよね、といわれればそれもそうである。で、理論的には労働力も市場に任せれば結果的に合理的な水準に落ち着いてそれがいちばん客観的な正解のはずだよね、ということになって、そうする
と、年功序列終身雇用などといった日本型企業社会の制度が合理性を歪めているよね、ということになるし、理論的には雇用を完全に流動化すればいちばん合理的になるよね、ということにもなる。で、もちろんそんな「理論的」はいみないという言い方もあるのであって、著者の人も、労働力は商品ではないよと念を押すしマルクスの言ってることが起こっているとか蟹工船のはなしとかに言及してもいるけれど、ま、落としどころとしては現状よりも流動化の進んだ将来像を著者の人は提起してると思う。そうなっていくし、それはそれでいいことなのであるというぐらいなかんじで。
ところでこれ、気が付けばリーマンショック以前の本。で、あれやこれやあって、いま現在また安部ちゃんが総理大臣の椅子に座ってアベノミクスと言い出しているところ。このタイミングや如何に。