通勤電車で読む『ゆとり京大生の大学論』。30年ぐらい前の京都大学生協のパンフレットでこういうのあったよな。

ゆとり京大生の大学論―教員のホンネ、学生のギモン

ゆとり京大生の大学論―教員のホンネ、学生のギモン

ガラパゴス、という呼び方は今っぽいし、孤島で進化してるみたいな印象があるのでこのばあいふさわしくない。こういうのは「シーラカンス」と呼んだものであって、なにか海底かどこかで取り残されてたのが釣り上げられて人前に姿を見せたみたいなかんじなのだ。
なんか、京大の「教養教育改革」と人間・環境学研究科、総合人間学部の改組or解体?みたいな話が起こったことをうけて、学生さんたちが作った(京大生のみかた、ナカニシヤさんが本にしてくれた)ということのようで、最初にノーベル賞益川という人に大学生がインタビュー、みたいなのがあって、つぎに京大やそれいがいの先生がたや社会人の人たちが「教養教育」についてそれぞれ短い文章を寄せていて、それから学生さん同士のお話っていうか討論っていうかがおさめられている。先生方はきっと、学生さんに文章を依頼されて、引き出しの中から昔に書いたデッドストックを「はいよ」って渡したんだと思う。それか、シーラカンスみたいな学生さんたちがやってきたので思わず古き良き時代にタイムスリップしてしまって、気持ちよく「教養とはそもそも」みたいなかんじで語っちゃったかなんかじゃないかな。で、ナカニシヤさんも、「まぁ、学生さんたちががんばって作ったんだから」ということで本にしてくれたんじゃないかな。
いまの日本の全国の大学というのをごくふつうに見れば、やはり大変だなあと思うのがふつうなわけで、そんななかでこんな悠長な(しかも新味のない)本が作られてしまうというのは、よほど浮世離れしてると思う。なんか、夢の中で夢の人たちが喋りあってるのを聞いてるようで、すごく真顔で立派に理屈を言い合っているようでありながら、なんかトリトメないっていうか。まぁ、昔から京大っていうのは夢の国っていうかユートピアだったじゃないですかと言われればそうなんだけれど、しかし、2010年代になってこれを読むのは、なかなかやはり不吉なかんじがしてしょうじき辛い。だいじょうぶか京大?