『キャノンボール・アダレイ・クインテット・イン・シカゴ』久々に聴きなおしてやはりいいので何度も聴きなおす。

散髪に行く道すがら、このアルバムの良さをどう表現すればいいのか、キャノンボール・アダレイがどのように才能にあふれ、すばらしくアルトサックスを鳴らし切って太く豊かでまろやかな音色を出し、また速射砲のように饒舌にアドリブが次々と湧き出てきて、しかもそれらがみなメロディアスで”唄って”いる、また、ファンキー・ジャズの流行にも貢献した人でアーシーな感覚とこぶし回しも得意としている、まちがいなくすばらしいアルトサックスプレイヤーであって・・・そしてしかし、たぶんそれゆえにということだと思うけれど、屈託がなく楽天的すぎて結果、残念なかんじになってしまう、というようなニュアンス、ところがこのアルバムではテナーサックスのコルトレーンとの双頭クインテットで、コルトレーンという根の暗い、決して天才ではない努力型というか執念型の、しかし理知的でシリアスであってけっきょくはハードバップからモードへとモダンジャズの改革を凶暴に推し進めて「ジャズの巨人」になってしまうのはコルトレーンのほうなわけだけれどそういう男がライバルで、丁々発止やるというアルバムなので、キャノンボールもちょっと本気を出していて(ついでにいうとこのアルバムのピアニストがこれまた放っておくと単なるハッピー・ピアニストになってしまうウイントン・ケリーで、コルトレーンキャノンボールとウイントン・ケリーというお気楽天才二人を本気にさせる重石の役割を果たしてるわけだけれど)、まぁ逆にいうと根の暗い凶暴性のコルトレーンがここではキャノンボールに付き合って懐メロの小唄「ライムハウス・ブルース」なんかを爆速アレンジで演奏してキャノンボールとアドリブ合戦なんかを演じたりしているのが痛快、というふうにもいえる、ま、そういうアルバム − とかなんとか、ほめことばをいろいろととりとめもなく考えていたわけで、そういう楽しみはやはりわるくないわけである。