『20世紀との訣別』。1999年の対談。古本まつりで買って読んだけどけっこう当たりだった。

20世紀との訣別―歴史を読む

20世紀との訣別―歴史を読む

ファンということで、表紙に蓮實と書いてあれば買うということをしてきたはずなのだけれど、この本を今まで持ってなかったのはふしぎといえばふしぎで、まぁ、同じ顔合わせの新書本を昔に読んだのでそれで読んだつもりになっていたためかもしれない。ともあれ、こういう本を拾うことができたのは古本まつりならではで、読んでみたら当たりだった。
歴史学の人との対談で、アナール派の亜流に文句をつけているあたりの話はふつうにへえーと言いながら読んでいたわけだし、まぁ自分は社会学だからな、歴史の人は大変だなあ、などと言い訳まじりに読んでたのだけれど、途中から、安保であるとか憲法であるとかについてあの蓮實重彦がベタに語る、というか、意見表明を迫られて微妙にはぐらかしながら語るというか、そういうところがけっこうでてきて、見ものっていうかおもしろかった。で、最終的にこの対談は噛み合っていたのか、というと、噛み合ってはいなかったようだなあというのが読後感なのだけれど、噛み合わない人とそれなりに対談できるのが蓮實重彦蓮實重彦たるゆえんであるというのが、そういえば定評だったのだ、そうそう、『饗宴』などという対談集本があって、たしかそのおまけのなかで金井美恵子渡部直己がそう言ってたのだった。
まぁそういうわけでこの本、対談だからあっさり読めるだろうと高をくくって買ったわりには時間がかかった。あと、この本は1999年に出た本で、まぁ90年代終わりごろに何度かおこなわれた対談をまとめたもののようなのだけれど、ふつうこういう本を今読むというのは、なんか答え合わせのような意地悪な楽しさがあるわけだけれど、なんかこの本に関しては、あまり90年代終わりという感じがしなくて、まぁあまり時事的な話が出てこないのでそうなのだろうけれど、しかしそれはこの本でさんざん言っている非歴史的な抽象性とかいうのとはちゃうのだろうか、それとも、じつはこの世界がいまだに90年代を抜け出していないということなのか、それともまぁ読んでる自分が鈍感なのか(まぁそうですわね)、まぁたとえばこの歴史学の人はイスラームのご専門らしいので、この本が1999年でなく2001年に出るのであれば、両者は違うことを喋り違う対談になっていただろうか、と思うわけである。