通勤電車で読む『ロボットの悲しみ』。

ロボットの悲しみ コミュニケーションをめぐる人とロボットの生態学

ロボットの悲しみ コミュニケーションをめぐる人とロボットの生態学

先日読んだ『弱いロボット』がよかった(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20150912#p1)ので、おなじ著者の人の本を。これは編著で、何人かの似たようなロボットの研究者や、近い関心の研究者のひとたちが論文を寄せて、また、最後の章で座談会をやっている。で、『弱いロボット』のときとちがって、どっちかというとペシミスティックなというか、やはりロボットでは・・・みたいなニュアンスが出てきている。そもそもの出発点のエピソードがプロローグに書いてあって、おばあさんがロボットペットを抱いて花見に出かけてるのを見かけましたと。おばあさんがロボットに話しかけているのを見て、複雑な気持ちになりました、と。やはりロボットはペットではないし、おばあさんがロボットに話しかけているのを見てしまうと、ちょっとなあと。で、そりゃまぁそう言ってしまえばそうなんだけれど、そこんところで、「ロボットなのに話しかけられる!」という楽天的な方向性があったので前の本は面白かったんだけれど、この本は、どっかで「しょせんロボット・・・」みたいな目線を感じて、そこがものたりないところ。
けっこう、読んでて、ここに出てくる何種類かのロボットたち、いいなと思ったんだけどな。
おうたたっぷりプリモプエル(タイプD) 黒

おうたたっぷりプリモプエル(タイプD) 黒

↑この子は市販されていて、Amazonのレビューもおおむね好評で、Youtubeに動画もけっこうあがっている。

↑この動画の関連で、別の人形も見つかった(これは本書には出てこない)けれど、
↓これはちょっと痛いかも。

いや、違いはないか、あるいはちょっとした違いなんだろうな。見ていると、上↑の「プリモ」とこの「まーくん」は、中身は同じなのかな、という気もする。だけど、確実なのは、この本の著者たちが、まさに「やはりこうなってはまずい、こうしたくない、これは自分が作りたいロボットのありかたではない」と感じているような使い方が、とくに「まーくん」の映像のほうに、あざといかたちで見られるように見える。

本書に出てきたまた別のロボットで、
これは遠隔操作らしいのだけれど、

これはけっこうよくできている。
これは、廉価版がアメリカで商品化されてヒットしているようで、Amazonでも出てくる。