先日、同僚の臨床心理の先生と喋っていたときに、
言語学系の会話分析の本を読んでるんですよお的なことを言ったら、そういえばセラピーの場面の会話の分析をやってる本があったけどなあという話を聞き、がぜん興味がわいて読んでみた。でまぁ、例によって読み飛ばしつつ、
言語学のむつかしいところは
認知言語学の先生にあとで聞こう、
サリヴァンにかんしてはその臨床心理の先生に聞こう、と思っていたら、ほぼ読み終わった今朝、ちょうど通勤電車でその臨床心理の先生といっしょになったので、感想を言いがてらあれこれ聞いていた。読んだときの印象として、どうもこの本で描き出される
サリヴァンはふつうなんとなく教科書的に素人的に思っているイメージよりも浅いかんじがして、なんかエリスの論理療法とか、はやりの
認知行動療法とか、そっち寄りのイメージで描かれてるような気がして、まぁいまいちだなあと思っていたのだけれど、まぁなぜそうなるかというとたぶん、この本が
サリヴァンのセッションの逐語的記録を手にしつつ、それをそのまま辿る形で分析するというよりも、なんとか理論みたいな
言語学の理論を当てはめる形で、いくつかの視点を設定してはそれに当てはまる部分を切り出して説明したり、数量的にグラフ化したり時系列で変化を可視化して見せたり、なんかそういうやりかたをやっているので、サイコセラピー固有の動きみたいなものよりはほんとに字面の文法とか語彙とかに焦点化してる、というのがひとつと、あと、「言語資源」という言い方でそういう文法や語彙の使い方のテクニックみたいなのを取り上げているので、なんかほんとに、患者に「違う言い回し」を教え込むことがセラピーだ、みたいな浅薄な
俗流ナラティブセラピーみたいな印象をあたえてしまう、というあたりかなと思った。ここで扱われてるセッションはみな
統合失調症の患者さんとのもので、妄想とか幻聴とかを訴えるわけだけれど、たとえば「これこれの声が私を叱責するのです」という患者に「なにがあなたに、これこれの声があなたを叱責するのが聞こえる”気にさせる”のですか?」みたいに聞き返すことをくりかえしているうちに、治療のさいごには、患者自身が「これこれの声が私を叱責するのが聞こえる”気がして”いました」みたいに言うようになります、だから”気がする”というような語彙とかそういう文法とかを、「言語資源」として、セラピーをしているのです、とかなんとか。うーむ。
そしてしかし、なんか薄っぺらいかんじがするのですよ、と臨床心理の先生に訴えながら、まぁ
エスノメソドロジーでもメルヴィン・ポルナーがそのへんを言ってるんですが、でもって自分も論文でそのへんを使ったりしたのですが、・・・などといっているうちに、薄っぺらいのは自分も同様なのだと卒然と思い当たったものである。まぁしかしなぁ・・・。