このところ読んでいたもの。もともとドイツ語で出した教科書を英語で書き直したもののよう。ひょっとしたらそのせいで語彙が少ないとか文法が素直とかいうことかもしれないけれど、
エスノメソドロジーの事が書いてあるのに読みやすかった。別の人が書いた序文で、
ガーフィンケルが十代のはじめぐらいまで
イディッシュ語で育って英語が苦手だったって言ってたよみたいな噂話からはじまって、本文でも、
ガーフィンケルの生い立ちから面白く書き起こして(
ロールズが書いてたのなんかを下敷きにしてる)、たとえば
ガーフィンケルが若い頃、家業の商売のために「会計 accounting」の勉強をして家の手伝いをしたりしていたのが、シュッツの勉強をしたのよりずっと、後年の
エスノメソドロジーに役に立ったとかなんとか。なるほどそういわれてみればわかる気がして、そういうaccountingをめぐる具体的な実践が社会的現実をつくってるのだよというのは、すんなり納得できる。そしてじっさいに、シュッツの影響をあ
まりたんじゅんに強調してしまうと、そうした実践を(誤って)「頭の中で起こること」のように捉える見方を引きずりながら
エスノメソドロジーを理解する危険におちいるわけで、だからたぶんこの本では、シュッツの影響の部分は微妙に脇道になってるように見える。博士論文「他者の知覚」よりもむしろその準備のための草稿『Seeing Sociologically』のほうを多く参照しながら、この本は、初期
ガーフィンケルがどのように
エスノメソドロジーを形作っていったかを辿るかたちで
エスノメソドロジーを描き出していて、そういうやりかたをしてくれると私などにはとてもすっきりとわかりやすい。そして結語としては、
デュルケームを忘れるな。