通勤電車で読む『学生に賃金を』。これはいまいちだった。

学生に賃金を

学生に賃金を

依然として『はたらかないで、たらふく食べたい』の人の本を読んでいる。今日は創立記念日の行事で学校。その通勤電車で、このところ読んでたのを読了。これはいまいちだった。たぶん、ちょっと現実的なことを書こうとしているからで、いろいろ調べたりして書いているけれど、それによっていつもの「あばれる力」の絶対的肯定、みたいなノリが薄れてる、というのがひとつ。そもそも「学生に賃金を」というテーゼは、むかし矢部史郎+山の手緑『愛と暴力の現代思想』(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20070702#p2)で読んだことあるけれどまさにその文章を読んでこの著者の人がこの本を書いているので、じゃあオリジナルのほうがいいわ、というのがひとつ(まぁ、知識にオリジナルもへったくれもないのだ、というのも、この本の展開する議論のひとつではあるのだけれど)。あと、日本の大学の奨学金というのがひどくて、さらに奨学金改革でひどくなったとして、その改革にかかわった有識者会議の委員のうち唯一、「教育学」の専門家である小林先生のところに、著者の人は文句を言いにいって、小林先生の著書の主張がよく分からないから書き直せと言ってやった、とか書いているけれど、
進学格差―深刻化する教育費負担 (ちくま新書)

進学格差―深刻化する教育費負担 (ちくま新書)

小林先生は教育学っていうか教育社会学の先生で、奨学金の問題でいろいろ問題提起をしておられるわけで、ごくふつうに見てこの著者の人の第一の敵というふうには見えない。でまぁそのへんが、この著者の人のダメなところを露呈してしまっているような気もして、つまり、話を聞いてくれそうな人を選んで難癖をつける、みたいなところがあるんじゃないかと見えるわけである。それは、この前に読んだ『現代暴力論』で印象的な導入になっていた、デモの主催者が暴れてる参加者を抑えようとしたみたいなエピソードについても言えて、そりゃあそういう書き方をすればデモの主催者は事なかれ主義でなんにもわかってないように見えてかっこ悪く見えてしまうだろうし、体制の犬ではないかと指摘されればデモの主催者さんも恥じ入るかもしれないけれど、それで主催者さんをやりこめて勝ち誇って「暴れる力の肯定」とか言ってても、まぁ、つまらんといえばつまらんわけである。攻撃対象はデモの主催者ではないわけで、反原発というならば原発を推進している巨悪にぶつかっていってこそだと思うし、奨学金を悪徳金融化したというなんとか有識者会議の委員の名前を書き並べて「金融関係者が多い」と言っているのであれば、当然、その委員の中の「金融関係者」にこそアタックするもんだろうと思うわけである。それを、唯一、話を聞いてくれそうな小林先生のところに行って難癖をつけて得々としているというのは、まぁたんなる甘えだろうと。そのように見えるわけである。まぁ、そのへんは、さいしょからわかったことでもあって、さいしょに『はたらかないで、たらふく食べたい』を読んだときに松本哉という人のことを連想したけれど(この本の中でやはり言及もされているけれど)松本哉みたいな活動力みたいなものは感じないと思っていて(松本という人は法政の学生のときに、来学したオリックスの会長と学長にペンキをぶちまけたとかいうことで、ことのよしあしはおいとくとして、話のつじつまはあってる)、まぁよくもわるくも口だけで言っているからアナキズムとかテロリズムとかの理屈がポエジーとしての効果を発揮する、というかんじかなあ、と。なんかちょっと、この本では、現実的なことを書こうとしたら地金が出てしまったかなあというかんじ。まぁ、だからどうこうというよりも、まぁ、ひとには向き不向きということがある、というおはなしだと思う。