ナボコフの誕生日について検索したら出てきた。秋草俊一郎(2008)「世界は注釈でできている : ナボコフ『エヴゲーニイ・オネーギン』注釈と騙られた記憶」『スラヴ研究』55

承前。ナボコフの誕生日、なにかありそうと思って検索をかけたら、こういう論文がでてきた。『ナボコフ 訳すのは「私」』(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20110624#p1)の人の論文(あれ?ということは『訳すのは「私」』に収められてるかな?とまた本棚へ・・・ぱらぱら見るに、直接はなさそう。注の中に言及されてる)。
秋草俊一郎(2008)「世界は注釈でできている : ナボコフ『エヴゲーニイ・オネーギン』注釈と騙られた記憶」『スラヴ研究』55
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/39238/1/55-004.pdf

・・・その論理を支えているのは、プーシキンが日付に几帳面な性格だったというほぼ一点に集約できるが、ナボコフがここまで日付にこだわる理由は、自分が「運命の日付にはとてもやかましかった」せいである。有名な例として、ナボコフはロシアの旧暦で1899年4月10日に生まれたが、この日は新暦では4月22日にあたる。だが、20世紀にはいると旧暦は新暦よりもさらに一日遅れるため、4月23日が誕生日として祝われることになってしまった。ナボコフはこうした「ずれ」を一面では「誤り」だと認めながらも、4月23日がシェイクスピアの誕生日だという理由からわざと矯正しなかった