通勤電車で読む『哲学しててもいいですか?: 文系学部不要論へのささやかな反論』。大学での哲学教育の有用性を「哲学的に」論証できるという信念を哲学という箱の中で語っている。

哲学しててもいいですか?: 文系学部不要論へのささやかな反論

哲学しててもいいですか?: 文系学部不要論へのささやかな反論

大学で哲学教育することが有用であると証明しようとするとして(できると思う)、その論証を「哲学的なやり方で」できるかどうかというのは、一考の余地ありと思う。たとえば石油化学を大学で教育することが有用だと「石油化学的なやり方で」論証することができるだろうかというと難しそうだなあと思うわけで、だったら哲学教育の有用性を哲学的なやり方で論証することだって難しいかもしれないじゃないですか。少なくとも、哲学的なやり方で論証するのは難しいかもしれないな、ぐらいの怖れは持ってもいいんじゃないかな、と思うし、まぁふつうに考えて、社会的に有用だとか無用だとかいう話題は社会科学が得意とするとしたもんなわけなので、そこに多少の目配せぐらいあった上で、なおしかし哲学的なやり方でこそこれが言えるのだ、みたいなことが説得力を持って言われていたらおもしろいだろうなあ、と期待するわけじゃないですか。むしろ当然そのぐらいのことをしてくれるだろうなぐらいに期待するわけだし、そのへんの周到さなり怖れなりなんなりがもしもなかったら、え?あれ?哲学ってこの程度?と思われかねないわけじゃないですか。あるいは、「べつに「哲学的に」論証しようとするのではありません」ということであれば、じゃあ社会科学なりなんなりがそれなりに苦労して解明に腐心している問題について徒手空拳で立ち向かえるなんてそれこそ怖れを知らないってことにもなりかねないわけじゃないですか。なのでけっこうこういう本って本当はハードルが高いんだろうなあーと思いながら通勤電車で読み始めた。