学校帰りに買った『新潮』の浅田+東+千葉鼎談。浅田×東や東×千葉は会話があるけど浅田×千葉のやりとりが少ないのは、世代というものなのだろうな。浅田彰還暦記念。

新潮 2017年 08 月号 [雑誌]

新潮 2017年 08 月号 [雑誌]

浅田+東+千葉鼎談が載ってるというので学校帰りに購入。で、読んでみたら、これ、浅田彰の還暦祝いイベントの企画だそうだ。でまぁ、面白く読んだのだけれど、気がついたら浅田×東や東×千葉は会話があるけど浅田×千葉のやりとりが少ない。これはやはり世代というものなのだろうかと思いながら読んだ。浅田彰は(還暦祝いという企画にひっかけつつ)1957年あたりからの戦後・冷戦的なコンテクストとかなんとかかんとかにたびたび注意喚起しながら喋るわけで、そのへんがたぶん、世代というか、「自分の世代では言わないでも議論の共通の土台になっていたコンテクスト」を明示しながら喋ってるってことなのかしら、という気がした。それで、東というひとはこの3人で言うとちょうど間に立つ世代の人だし、またどうやらこのイベントの場のホスト的な役回りでもあるようで、まぁちょうど全体を見渡すポジションで喋っていて、こうして喋っているといたってまともそうに読めるのに、なんで単体だとキモいのかなあと不思議になる。しかし、たとえば次のようなところで、ちょっとさもありなんと思ったところもあって:

浅田 さっき言った、多文化主義では勝てないというのも、それに通ずる話です。ぼくらもダサいと思ってまじめに取り組んでこなかったから、偉そうなことは言えないけど、やはり労働組合などの活動は大事なんですよ。
 そうですね。何らかのリアリティやアイデンティティがあるところで運動が起こらないとダメなんです。否定神学的な市民運動は、百害あって一利なしだと思う。
浅田 ぼくは、そういう反対運動であってもあったほうがいいとは思うし、マイノリティの社会文化的承認が進んできたことは素晴らしいと思いますけどね。ただ、(・・・)

みたいなやりとりがあって、ちょっとちょうどつい先日に炎上芸してた「クレーマー集団の左翼とは話が合わない」発言なんかを思い出したところ。これ、ふつうに読むと、浅田彰が「やはり労働組合などの活動は大事」って言ってて、東が「そうですね」っつって言ってるように読めるし、まぁ文脈的にもまぁそうなってる。ベタにダサい労働組合的な活動は、そりゃごくふつうに公平に見ていま足りてないし、まぁそれはやらなきゃね、といういたって常識的なおはなしは誰も否定していないように見える。で、そうすると、べつに「クレーマー集団の左翼とは話が合わない」みたいな言い方はしなくていいでしょうという気もするけれど、まぁそういう言い方をしちゃうんだろうなあというか、Twitterなんかだとそういうイキりかたをするんだろうなあ、と思ったわけで、まぁそのへんがやっぱりこの人は基本キモいんだよなあと思うところ。