録画してた『シン・ゴジラ』みた。

まぁ、面白かったと言っていいものかっていうかなんというか、まぁしかしとりあえずある種の達成である、と。なんだけれど、まずこれは東日本大震災のイメージをもとに作られていて、それはオリジナルのゴジラが原爆と東京大空襲のイメージをもとに作られていたのと同じことと言えば言えるのだけれど、しかしこうして見てみるとやはり世の中にはやっていいことといけないことがあるのじゃないかと思うわけで、それがひとつめ。あと、これ娯楽映画だとして、すると、「外れ者や半端者、落ちこぼれたちが集まって、チームワークでデカい仕事をやってのける」映画、というジャンルになりかけた形跡がある、のだけれど、結局あんまりそういう印象が残らない。たぶん巨災対ゴジラの正体やゴジラを倒す必殺技を解明して、それでデカい仕事をやってのけたというお話のはずなのだけれど、なんかそういう印象が希薄というか。それに相当する場面では、なんか巨災対の部屋の中で登場人物たちが早口でよくわからないことを喋っている顔がぱっぱっと映されて、それでまぁたぶんゴジラの正体がわかったことになったり必殺技が編み出されたりしたんだな、ということはわかるのだけれど、「謎の解明」感とかチームワーク感とかがすっ飛ばされているっていうか。まぁただ、そのへんも狙いっていうか、そういうところでメリハリをつけてしまうとわかりやすい娯楽映画になりすぎるんで、この作品のキモはそうではなくて日本の官僚組織のあいまいさや匿名性みたいなもの、それにもかかわらずある種の問題解決が実現されてしまうというところ、なのであるということなのかもしれない。まぁねえ。しかしそうするとお話が元に戻ってきて、この映画のいちばん積極的な見どころはやはり無慈悲な都市破壊シーン − さいしょの蒲田くんが川を遡上するときの、自動車や瓦礫なんかが押し流されていく場面、あるいは、巨大化して都心に到達したゴジラが攻撃を受けて突然覚醒したみたいに光線を放ち始めてビル街を火の海にする場面、などなど − にあるということになると、それはやっていいことなのかという困惑が浮かんでくるわけである。