- 作者: 小泉義之
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2018/01/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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小泉義之『ドゥルーズと狂気』。いつもながらによい。「愚鈍」と訳さず遠慮なく獣人すなわち生来性犯罪者のことだと解する、そういうドゥルーズ読み。 - クリッピングとメモ
)にひきつづいて狂気をめぐって。しかも、「自傷他害のおそれ」の認められる狂気、精神の狂気ではない行動の狂気、が焦点になる。どうやら精神医学業界では、現在、「精神病」が軽症化してきている観測があるようだ。フロイトの時代が神経症の時代であってしかしそれが勢いを潜めたように、精神病もまた軽症化して、典型的で派手な症状を呈するようなケースがなくなってきているということらしい。他方で「発達障害・人格障害」が広範化し「スペクトラム」化していると。でもってそれと並行するように、また60年代的な「反・精神医学」を通過してということもあり、精神医療が非入院治療化するかにみえる現状をどうみるか。いや、それについては本書のさいしょに戦後の精神医療史を概観しつつ留保があって、精神病院数・病床数のピークは1990年代にあるということで、つまり反・精神医学を通過してなお、というかそれをつうじていっそう、精神病院を中核とする体制が完成したのだという見方が提示される。そしてそこからあらためて「「入院治療から地域医療・保険・福祉へ」の掛け声の下に作り出されてきた各種の施設、すなわち、デイケア、ナイトケア、生活訓練施設、ショートステイ、福祉ホーム、入所授産施設、福祉工場、グループホーム、自助グループなど」へと医療ないし福祉ないし教育、矯正、貧困対策、介護、あるいはどう呼ぶにせよそういう活動は移行し、そしてそれは「精神病院以前の伝統的な施設の形態を復活させ」ていると見られ、あるいは「精神病院以前のアサイラムの時代へ、あるいはさらに、アサイラム以前の時代へ」 - そしてそこで行われていたのは「モラル・トリートメント」といったものである - 戻りつつあると捉えられる。まぁだから、小規模施設でSSTとか認知行動療法とか、というイメージでしょうか。そして、たとえば精神分析的・哲学的・芸術的な知が「狂気」をてがかりに人間存在を解明するみたいなことをやっていた時代があり、しかし「精神病」は軽症化し、精神の狂気から行動の狂気へと重心が移り、かつ広範化し社会化し、あるいは社会がまんべんなく精神医療施設化し、行動の管理と「自傷・他害」を押さえ込もうとする社会防衛が全面化する、と。これいかに。それはやはりそれでいいじゃないかとはいかないとして、やはりそのような社会体制に対してなんらかのカウンターがあるとして、それをやはり「狂気」に見出すとして、そうするとそれはやはり精神の狂気をめぐる人間学に期待できるもんでもなくてやはり、この社会の中に棲息しているさまざまな「行動の狂気」に注目することになる、と。そうするとそれを具体的に考えていく上でたとえばヘイトスピーチなんかはどうしましょうか、みたいなことにもなってくる。そこでフーコーだったらどう言うか、みたいなことにもなってくる。