通勤電車で読んだ『文系大学教育は仕事の役に立つのか』。このタイトルで新書を出したら売れる。

文系大学教育は仕事の役に立つのか―職業的レリバンスの検討

文系大学教育は仕事の役に立つのか―職業的レリバンスの検討

通勤電車で読んだ。ところで、「文系大学教育は仕事の役に立つのか」という問いがあったとして、まぁ学生さんにこれを明らかにするにはどうすればいいか、と、まぁ理系でも文系でもいいけど初年次教育あたりで質問したとして、まぁヒントとして、比較の視点を入れたらどうなるかな?とか言えば、学生さんはたぶん、比較をしたらいいと思います、と考えてくれて、「文系大学教育」を受けた人と受けなかった人で、仕事に役に立つ能力に差が出たかどうかを調べたらいいと思います、みたいに答えてくれるんじゃないか、それで、具体的に何と何を比べるのかな?とか言うと、たぶん、「文系と理系の大学教育を受けた人の仕事能力を比べます」という答えと、「文系の中で、大卒と高卒の人の仕事能力を比べます」という答えが出てくるかもで、そうするとどういう調査をしたらいいかなあと考えたら面白いと思う。自分は後者の、大卒者と高卒者の仕事能力の比較が調べられたら面白いかなあと思うのだけれど、まぁじっさいには上手い比較ができるように調べるのはむつかしいだろうなとは思う。高卒就職か大学進学かが分かれる時点で、「学力」によるスクリーニングがかなり(とても?)効いているはずなので、大卒者と高卒者の仕事能力の差のどのあたりが「大学教育によるもの」かを見分けるのには、もう一工夫必要かもしれないとか。また、世の中で大卒者がやってる仕事と高卒者がやってる仕事がどのていどくっきり分離されているのかによって、それぞれの仕事内容にフィットする能力とはどんなものなのか、変わってくるってのもあるだろう(もちろんそんなことを言えば、あらゆる仕事はそれぞれ違う能力を必要としてるといえばそのとおりなんだけど)。それと関連して、むかしから思っているのは、世の中の仕事のうち、ざっくりいって「大卒の人のやる仕事」と「中卒・高卒・専門学校卒の人のやる仕事」とが何割・何割であるのか(また「大学院卒の人のやる仕事」が何割であるのかとかんがえてもいいかもだけど)、ということで、まぁざっくり中・高・専門学校卒の人と大卒の人が高等教育進学率的ないみで半々だとすると、大卒の人のやる仕事とそれ以外の人のやる仕事も半々であれば、うまくいってると思うけれど、それはじっさいのところどうなってるんだろうか。ここでざっくり「大卒の人のやる仕事」といったのは、仕事内容面もそうだし報酬・待遇ということもそうなんだけど。また、たとえば高校でも職業科も普通科もあるし、大学だって教育や心理や福祉や医学なんかは専門資格=専門職志向だし文学や経済学や理学は専門職とは直接結びつかないかもだしそう考えると高卒の仕事・大卒の仕事というよりもっと細かく分かれるだろうってのはあるだろうけれど。まぁそれはそれとしてたとえば「非正規雇用が増えています」でも「4次産業が発展してます」でもなんでもいいけれど、そういう産業・就業構造の変化というのは短期でも中長期でもあるわけで、それにマクロな学校教育システムとか学歴社会システムとかが即応しているのか、とか、すべきなのか、とか、できてるからいいじゃん、とか、たとえば「仕事内容」のほうが学校教育に合わせるのが - ようするにたとえば農業でも工業でも高付加価値化したり福祉でも知識集約化したりすれば大卒の人のやる仕事になるわけで - 社会を発展させることなのだ、とか、まぁ知識集約高付加価値の仕事なのに報酬がともなってないのでは、とか、まぁなんでもいいけれど、そういうかんじでまぁ、社会学的にというかやはりマクロでというか、考えたいと個人的にはいつもおもっている。
で、まぁこの本は、もちろんそういうことをやりたい本ではないので、調査設計が、文系大学教育を受けた社会人と現役文系大学生のアンケート(一部インタビュー)、ということになっている。インターネット調査ということで、調査対象が大学の偏差値でいうと50以上にかたよってるのかしら?と感じた(アンケート対象からピックアップされたインタビュー調査対象の人はみんな国立or私立A群(偏差値60-)・B群(偏差値50-60)と書いてある)けれど、それは気のせいかもしれないし、まぁもしそうでも分析・考察には織り込み済みなのだろう。でまぁ比較っていうか、文系の中でも経済と教育と文学はどう違うか、というかんじの枠組みになっている。また、方法論的個人主義というか、「○○するのは誰か」という章が並んでいることにも表れてるけど、いわゆる「社会学主義」的な枠組みではなくて、いろんなカテゴリーの個人がどのようにふるまいどう感じているか、ということをアンケート調査から明らかにしている。各章を分担した若手の人たちがそれぞれクリアな分析をしておられるのだけれど、自分的には6章が(あるいみ個人主義から相対的に遠いかんじがして)おもしろいかもと思った。