『
ファシリテーション・グラフィック』の人の著書を、追いかけて読んでいるわけだけれど、このたびはいまひとつかもである。
ロジカルシンキングをしましょうということのようだけれど、どうも
ファシリテーションというのと
ロジカルシンキングというのは相性がよくないのではという懸念もある。この著者の人は「ワンフレーズ」というのもキーワードにしてはって、この本より後に出てた『会議を変えるワンフレーズ』という本にはそれなりに納得した覚えがある(
http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20170623#p1)けれど、具体的な会議の場面で会話の流れを変える装置としてのワンフレーズ、というのは、あり得ると思うのだけれど、一般に
ロジカルシンキングをする際の部品としての「ワンフレーズ」集、というのは、ちょっとたいへんなのではないかと。そういうのを論じるためには、なにがしか演繹的に語らないとできないような気がするのだけれど、この著者の人はそういうタイプではないと思う。なので、「要するに」とか「いずれにせよ」とかいう接続詞やフレーズをなんとなく挙げていってはそれをめぐる随想的エッセイをちょっと書く、みたいな本になってる。ていうか、そういういみでいうところのこの著者の人の「語感」が、いまいち厳密でないんじゃないかという懸念をもつわけで、それは、「はじめに」のところで「論理的」「ロジカル」とは何のことかをわかりやすく示す例として出されているのがいまいち、というのはある。なぜか、『
走れメロス』の冒頭の部分を挙げて、「この文章をもっと論理的にするには、どのように加筆修正をしたらよいでしょうか。」とお題を出す。それで、「手を加えると見違えるほどロジカルに」という
小見出しで、「こんなことをするのは野暮なのは承知で、私もやってみました」というので提示されたのが以下の通り。
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
↓
一言で言えば、メロスは激怒した。そして、必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。にもかかわらず、メロスには政治がわからぬ。なぜならば、メロスは、村の牧人だからである。とりわけ、笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。とはいえ、けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
うーん、これどうなんでしょう、となる、なりますよねえ。さっぱりロジカルな感じを感じないし、とりわけ、「にもかかわらずメロスには政治がわからぬ」の部分は間違ってるでしょうと思う。ここは「たしかに」でしょう、と。そんなふうに巻頭から「なんじゃこりゃ」と思わせるだんかいで、ちょっと失敗してるんじゃないかなと思った。