映画が良かったんで『勝手にふるえてろ』読んでみた。まぁ映画化が優れていたんだなあと。

勝手にふるえてろ (文春文庫)

勝手にふるえてろ (文春文庫)

このまえ映画を見て(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20180722#p1)、よかったんで、小説のほうを読んでみようかなと言う気がしていたところ、学校の売店の書籍コーナーでふと見たらあったので買って読んだ。まぁ、以前読んだときの綿矢りさのイメージとさほどかわらなくて、しかし映画のイメージともかわらなかったので、これはひとまず映画化が優れていたというか、『文學界』の綿矢りさ×松岡茉優の対談で著者が言ってたように、原作をきっちり理解して使うべきところをきちんと使ったなあ、というところまはずある。それで、ポイントは文体なわけで、小説は思い込みのきつそうな主人公ヨシカのモノローグで進む文体なんだけど、映画は登場人物が喋ったり動いたりするのを客観的に映してつなげて展開するわけで、その客観化のやりかたをまちがえるとうまくいかないところを、上手にやってる。つまり、まず、小説の作者である綿矢が、思い込みのきつそうな主人公ヨシカを造形して、あれこれ痛いかんじのモノローグで語り散らすわけだけれど、その痛さの中には、ヨシカの痛さと、作者自身が自覚せずに書き込んだ作者自身の痛さがたぶん混在していて、まずはそこからヨシカの痛さだけを分離して取り出して、その思い込みの部分を映画的な仕掛けで正確に処理し、また、ヨシカの痛さまるごとを松岡茉優が憑依的に受肉して、散漫なモノローグ小説を、松岡茉優を中心にきびきびと展開するラブコメ映画に移植して見せたんである。
文庫本の解説が辛酸なめ子で、なめ子はなめ子で小説をなめ子的簡潔さで語りなおしながら評している。