年末に録画してた『バーニング』みた。映画の短縮版だそうだ。

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年末に録画してたのを見た。もとが映画で、短縮版をテレビで放送ということだが、まぁかまわない。韓国の監督&キャストで村上春樹の「納屋を焼く」を映画化してタイトルが「バーニング」であると。村上春樹を映画化したというと『風の歌を聴け』『ノルウェイの森』は見たことがあって、両方とも長編が原作だったので、無感動ふうのセリフ回しでだらだらストーリーを追うので薄気味悪かったような覚えがあるけれど、
『ノルウェイの森』みた。長いよ。 - クリッピングとメモ
本作は短篇をもとにしてるのと、まぁ現代韓国の若者のはなしとして翻案していることもたぶんあって、たぶん村上春樹のエッセンスを映画に落とし込んで、ちゃんと映画になってたかんじ(気がついたら、短篇の映画化はかなり多くあるんですな)。
で、それはそれとして、「バーニング」、「納屋を焼く」が原作だよというけれど、「納屋を焼く」を読んだのは学生のときなので、どんな話だったか覚えてなかった。いや?比較的覚えてるほうかな?たぶん納屋のはなしだったのではないか、納屋を焼くとかそういうはなし。たしかジョギングしながら地図を片手に近所の納屋を点検して回る話だったかな、ぐらいの認識で見はじめて、なんか韓国の都会で若い幼なじみらしい男女が再会してるけどそういう話だっけ?と思いながら見てたらみかんをむきはじめて、あ、そうそう、みかんをむくんだった・・・ヘタやなあこの女優・・・などと見ていたらまたスジを見失い、それでしばらく見ていたら謎の男が登場、しばらく見ていたら卒然と、これ大麻を回し吸いするはなしじゃなかったっけ、と思い出した。それで大麻大麻、と思って見ていたら、ここで大麻、というところで大麻が出てこなかったのはNHK製作だからか、短縮版だからか、現代韓国の若者は大麻は吸わないのか、いやまぁNHKですから、と思いつつ、ともあれせっかく覚えていたんじゃないかという場面がでてこなかった。それで、女はふいに消えるわけで、あれまぁ村上春樹だと思いつつ、女が消えるというのはさっぱり覚えていなかったようなのだ。

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

しかたないので読んで確認したら、まぁ消えてたといえば消えてた。けどそれ以前にうまく人間関係が翻案されてて、映画ではなるほど村上春樹だ、というかんじに - 村上春樹の原作に村上春樹感を乗せたかんじで - 女が消えてた、つまり、女は「僕の前から」姿を消したわけで、「僕」がその女を探し、黒幕じみた謎の男に会って謎の言葉を聞く、しかしすべては取り返しがつかず「僕」は空虚を抱えながら生きていく、みたいな。えーとつまり、原作はそうではなかった。たぶんシナリオを書く段階で、ちょっと待て、村上春樹なんだからこうだろう、ちょいちょいちょい、と人間関係を書きなおした、みたいなことなんじゃないか。まぁあとふと思ったのは、NHKなんだから総理夫人に忖度してせっかくだから大いに大麻シーンを登場させればよかったではないか、という冗談を思いついたが誰も面白いと感じないかもしれないということだ。

気になったので検索してみたら、映画版のレビューが出てきて、
映画『バーニング 劇場版』 戦争の影、死の匂い|エンタメ!|NIKKEI STYLE
やはり大麻シーンはあったそうだ、というか、大麻じゃなくてタバコだと思ってたのが大麻でしたということらしい。大麻だよ、という説明のセリフがたぶんとばされてたので、なんか単に縁側でタバコを吸ってるみたいに見えてたんである。
あと、このレビューを見る限り、やはり短縮版だけにけっこう端折ってるみたいで、「原作にはない衝撃のラスト」「後半に向けてサスペンスがどんどん高まる」などということを書いてあると、見てみたいような気にならなくはない。

いやまぁ、見てみたい、と言い切りにくいのは、やはり村上春樹的なことでいくと、探偵小説の形式を取りながら内容は空虚、主人公が消えた女を探して彷徨するけれど主人公は無感動で「やれやれ」とかいって疲れてばかりいるわけだし、女が消えた理由も具体的な何事かではなくて、ただ忽然と姿を消してしまった、ということなので、さいごに主人公がたどり着くのも空虚な喪失感を抱えながら生きていくみたいな境地、みたいなおはなし - まぁ、ある時期からの作風の変化で、そこに戦争とか暴力とか闇とかなんとかかんとかいったものが割と露骨に書き込まれるようにはなっているけれどもそれにしたところでごく抽象的で観念的な井戸とか壁とか悪とかのワードに行きついてめでたしになるわけで、いずれにせよあまり本気で犯罪サスペンスをやるつもりはなさそう - なので、「原作にはない衝撃のラスト」「後半に向けてサスペンスがどんどん高まる」とかいうのは、まぁ村上春樹的な意味では蛇足かな、というか、見てないけど見ないほうが逆に村上春樹感的には完結してるかな、という気がした。ま、それでもあの電話のくだりで具体的な犯罪のようなものは十分に示唆されてしまっていたので、まぁほんとうはそれもなかったほうがよかったかな、と。ただ、村上春樹というのをいったんわきにおいておくとすると(あるいは、抽象的観念的にやれやれとか言ってるだけなところが結局のところが村上春樹の限界なんじゃんねえ、という言い方をすると)、面白い映画という意味では「後半に向けてサスペンスがどんどん高まる」「原作にはない衝撃のラスト」という展開は見てみたくならなくもない気もしなくもない、けどたぶんそれは別のお話ではあるだろうけど。