ドゥルーズにかんして、カオス、というお題だと、えー?カオスかぁ、というのが先入観だったのだけれど、読んだらよい本だった。例によってわからないところは遠慮なく読み飛ばしながら読んでたけれど、なんとなく分かった感を与えるといういみで、これは
ドゥルーズ本の中でいうといいパターンの方。
ドゥルーズが、晩年に「カオスに抗する闘い」ということを言ったというので、そうすると、まぁ
俗流の感じだと
ドゥルーズというのはカオスというのを称揚したのではないか、型にはまるのはよくなくてハチャメチャなのがいいとしたのではないか、などとまぁそういう安易なイメージがあり、まぁしかしそれは安易で
俗流すぎるでしょうというところまでは想像するものの、しかし「カオスに抗する闘い」とまで言うとなると、
ドゥルーズは晩年に自分が年を取ったら翻心したのではないか、という見方は出てきかねないわけである。そこで丁寧に初期著作から『差異と反復』『意味の論理学』あとベーコン論や『哲学とは何か』までを丁寧に解読して、
ドゥルーズにおけるふたつの「カオス」をていねいに読み分けて図式的に整理し、
メラニー・クラインや
メルロ=ポンティや「
器官なき身体」概念などをそこに配置して、一貫した姿勢をあぶりだしてるという。
でまぁ、短い帰省に持ち帰って、汽車の中や寝床で読んでた。
で、帰りの汽車で飛ばし読みで再読してたのが『音を視る、時を聴く』。