- 作者: 伊藤翼斗
- 出版社/メーカー: 大阪大学出版会
- 発売日: 2018/02/28
- メディア: 単行本
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この研究の「意義」について、いちばんさいごに書いてあるのだけれど、学術的意義をのべたあとに、実践的意義というのを言う前置きが長く書いてあって、そのへんもいかにも社会学の人間に親しみがわきそうな書き方でよかった。
あと、読みながら結構ずっと思ってたのは、おたくの人とかの発話のステレオタイプとして、「あっ、」とか発話の冒頭にやたらくっつく、というのがあるように思うのだけれど、その「感じ」は、どう位置づくのかなあとか(さしあたりの正しそうな答え的なものとして、a:「話者のカテゴリー(「おたく」とか)は、相互行為の中で参与者に志向されたときにはじめていみをもつので、分析に先立って話者に「おたくの人」みたいなレッテルを貼ることはしない」、というのと、b:「おたくの人が何を考えて「あっ、」と言ってるかはここでは問わなくて、ここでの分析は話者の心理状況みたいなものとは別の次元で、相互行為の中で発話とか語とかが組み立てられていくやり方に注目する」というのを思いつく。それはそうだとして、しかし、本書のさいごのところでコミュニケーションの障害に関連する発話冒頭の問題がちらっと言及されてて、そうするとつまり、心理状況の次元でなくてコミュニケーションの次元で、問うことはありなのではないかと、ちょっと思う。つまり、発話冒頭で「コミュニケーションの回路を開く・繋げる」ということを行う手段として「あっ、」が機能してるのでは、とか、だとすると逆にいうと、いわゆる「自然な会話」が、いわば「常時接続」を相互に前提としてるのだとすると、おたくの人がその前提を欠いていて、ぶつ切れの状態からいちいち「あっ、」と言ってコミュニケーションの回路を開きなおす・繋ぎなおす、のでは、等々…というか「おたくの人」と書いたけどまぁ要するに自分の実感がそうなのだろうね→や、まぁあれです、そういうのもだからこの本の追及してる課題とは関係ないはなしではあるね、この本が注視するのは、発話冒頭に複数の言語要素が付くときの語順と相互行為、だからね)
ところで、この研究は、TalkBankという会話コーパスを利用している、というのも興味深い。そういうのもあるのか。
https://talkbank.org/