通勤電車で読んでた『柔道整復の社会学的記述』。

柔道整復の社会学的記述

柔道整復の社会学的記述

たとえば足をくじいたとして、整形外科の医者に行く以外の選択肢として柔道整復というものがあるようなのだ。そういわれてみれば近所にも「ほねつぎ」という看板を掲げた接骨院があったりするし、いろいろな経緯でもって近年、増えているらしい。で、それではその柔道整復というのは具体的にどんなことをやっているのか、というのを、相互行為分析で描き出している。で、章立てが問診、触診、エコー画像の説明、電気療法、固定具による施術、ストレッチ、そしてセルフストレッチの指導、という順序で、ひととおりの流れに沿っているので、イメージしやすい。それぞれの場面で施術者の人が患者さんと会話したり、患部に触ったり動かしたりマッサージしたり、場合によってエコーを使ったり、電気を流したりしつつ進んでいくわけだけれど、ミソは、そういう整復師さんと患者さんとの相互行為によって(つまり、とくに整形外科がやるようなレントゲンで体内を直接見たり、薬を使ったり、をせずに)診断や治療が進んでいくこと。それをていねいに、ビデオと会話分析をおりまぜて描き出している。それでひととおりなるほど、と思えるのだったが、じつは読んでいてずっと思っていたのが、やはり、けっきょくのところ整形外科と柔道整復とどう違うのか、ということで、つまり、柔道整復はレントゲンを使えない、薬を使えない、という消極的な違いはわかるけれど、それではなぜ人は柔道整復に行くのか、という積極的な違いのほうがいまひとつわからないまま読み進めてた。たぶん9章の、とくに長めの注の中で、そのあたりのことが示唆されていたと思うのだけれど、自分的にはむしろそれをもっと最初のほうの章で、一章ぶんぐらいかけて、まぁこれは相互行為分析というよりももう少しベタな情報としてでいいので説明してもらうとありがたかったかなあと思う。