『一神教と戦争』読んだ。橋爪×中田考。

一神教と戦争 (集英社新書)

一神教と戦争 (集英社新書)

年度初めに、橋爪大三郎の新書の未読のやつが何冊かたまってたのを何冊か買ったのを、読むシリーズ。橋爪大三郎×中田考ということで、橋爪がいちおうキリスト教世界側に立ちつつまぁ宗教社会学的な視点で喋り、中田がイスラム世界の論理を語る、という趣向。それで最初はジャブの出し合いみたいなかんじでかみ合わなかったのが、中盤からかみ合ってきて・・・というすじがきかと思ったら最後にまた結局かみ合わない感じで、お互いにやっぱりかなり違いますね、というところでおひらきになる。まぁそれでもじつはけっこうおもしろかった。一神教だからどうのこうの、というようなおはなしではなくて、キリスト教イスラム教も一神教(しかも同系の)だということで、それでも仕組みが違うよ、という。イスラム世界では利子をとることが禁じられてる、というのはなんとなく知ってたけれど、「代表」というのがない、「法人」というのがない、というのは、へえ、というかんじだった。いやまぁ、ききおぼえはあったのかもしれないけれど、だから何だ、社会のありようがこのようにちがってくるのだ、だからこうなっているでしょう、というところまで言われてなるほどとようやくピンときたというか。あと、イスラム教徒はアッラーが実定法(イスラム法)を与えてくれたので自然法など要らないけれど、キリスト教は聖書プラス自然法、というか信仰プラス理性というか、そういうしかけになっていて、世俗の社会とか国家とかを形成するためには理性によって自然法を発見していく、これすなわち政治哲学、が必要で、政治哲学によって国家が形成されてるのだ、とか。あと、

橋爪 (…)あと、主権とは何かというと、実は神の権利なのです。
中田 ああ、なるほど。

みたいなやりとりとか。そのへんおおむねやはり橋爪節は好調なかんじ。イスラムにおいて人間と人間が結束する論理は「ムスリムとして抽象的に連帯するしかない。でも、ムスリムの連帯は全員参加なので、実は、意味ある集団を作ることができないのです。意味ある集団を作るのは血縁です。…」というわけで、イスラムにおいては共和国が成立しない、イスラムの論理が血縁集団を増幅する、というあたりのくだりとか。