通勤電車で読む『社会にとって趣味とは何か』。

はじめにのところを読んでたら、この本は宮台真司ほか(1993)『サブカルチャー神話解体』を下敷きにして乗り越えるみたいなことで書かれたみたい。それで、さしあたりなるほどこの表紙のきもち悪いドット模様はそのリスペクトなのかしら、などと卓越化的にデータベース消費したわけなのだが、じつは自分は世代的にはきわどく宮台真司は通ってこなかった。宮台真司という人はソシオロゴス界隈の人で、『権力の予期理論』というのは大学生協でちょっと立ち読みしたけどぴんと来なくて(たぶん後々じぶんがゲーム理論がぴんと来ないののはしりだと思う)、そのうちその本はたしか『現代社会学』かなにかの書評で橋爪大三郎に総括されてた気がしたのでなんかわかんないけどやっぱりなと思ったという、で、その後、教育社会学会の課題研究「<異界>に生きる少年少女」(1991)の発表者として登場、満員立ち見の会場にちょっと少なめの配布資料で飢餓感を煽りつつマーケターみたいな喋りで「~なわ・け・で・す」みたいなかんじで、たしか調査か何かをやったということで異界を生きる若者の知り合いで代弁者だみたいなかんじでぺらぺらと喋ってずいぶん感じ悪いなあという印象を持ったという、でまぁあまり感化される感じにならないまま今に至るわけなのだった。
なので、それから四半世紀たって手にした本が、我こそは日本の社会学や若者論を背負うという意気込みとともに、宮台真司を乗り越えるのだみたいなことを言われても、またそれで実際の分析を読んだらアニメとかオタクとかのはなしだったりすると、なんかこう総じて、まぁねぇという感想にはなるのだった。

そうそう、やっぱりだ。上記↑の教育社会学会の課題研究報告で、宮台という人が妙にマーケターみたいな喋り方をしていた印象があり、だからマーケティング調査会社で働いていたのだと思っていて、だから宮台という人というのはきっと、要するに博論でルーマンとかゲーム理論とかで書いたものの挫折してその後はもっぱらマーケティングの仕事能力で、表面上は「ルーマン」だの「システム論」だのという用語をふりかけて、仕事をしていた人だ、というふうに思っていたのだけれど、さっきWikipediaで見たらマーケティング会社で働いてましたとか全然出てこなかったので、それは勘違いか、偏見はよくないなあと思っていたのだけれど、
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当時の学会の予稿をなんとなく見直してたら、やっぱりマーケティング会社の仕事もやってはいたんですな。

私の専門は、社会システム理論一般とその特殊領域としての権力理論だが、84年から87年にかけて自分たちが設立したマーケティング会社で実務に従事したのがキッカケで、応用問題として日本的権力研究の延長線上に80年代の日本の高度消費社会を分析してきた。方法的には多変量解析、潜入調査、メディアの歴史的内容分析を、システム理論に結合するというやり方を採用し、入手容易なものとして以下の業績を公表してきている。
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うーん、まぁだから、時間的な前後関係として、博論で挫折してマーケター仕事のほうを売りにした、という先入観はまちがいだったようなのだけれど、まぁマーケティング会社の仕事がその後の方向性のもとだったってことぐらいは言えそう。