通勤電車で読む『ブルーノ・ラトゥールの取説』。

ブルーノ・ラトゥールという人の名前はいろいろ出てくるわけで、まぁ自分的には以前ここで別の本に関連し書いていたように、むかし院生の時に「ブルーノ・ラトゥア」さんだと思い込みながらけっこうおもしろそうだと言ってた覚えがあるけれど自分的にはその時点で流行は終わってたわけだけれど、
通勤電車で読んでいた『野生のエンジニアリング』。タイの中小工業の、人と機械の人類学。面白かった。 - クリッピングとメモ
ともあれ最近も翻訳が出たりしたのを買うには買ってたら、職場の若い先生にみつかって「ブルーノ・ラトゥールありますね」とか言われて、読んでなかった(し読めなくて積読いっちょくせんだろうなと思ってた)のであちゃあというかんじで、でもまぁちょうどこの本を読もうとしてた頃でもあったので「あ、とりあえず入門書とか読もうと思ってます」とは答えたのだった。でまぁ、読んだ。
でまぁ、この本で、ブルーノ・ラトゥールは不真面目な書き方ばっかりで、どこまでまじめに受け取っていいのかわからんと言われるみたいな紹介の仕方で、あとがきでは「率直に言って、私はラトゥールが好きではない」とかいきなり言ってるし、まぁそういうスタンスの人が「取説」ということでまとめてる本。なのでまぁ読みやすいし、まぁおかしなこともいうてへんなとおもったが、逆に言うと、まぁこういうのはだいたい見慣れてるなとも思ったし、まぁ、このへんエスノメソドロジーとどうちゃうのと思ったところもあった。まぁ、モダンでもポストモダンでもなくてノンモダンだとか、まぁ脱構築だとか、まぁそういう言い回しをふりまわすあたりはまぁどうでもいい。落ちのところで岸政彦フィーチャーなのもまぁ電車が駅につきそうだったので読み飛ばし気味だった。
ところで、
自分がむかしにおもしろがった「ドアクローザーの社会学」というのが、webにあった。
www.bruno-latour.fr
→pdf http://www.bruno-latour.fr/sites/default/files/35-MIXING-H-ET-NH-GBpdf_0.pdf
著者が「Jim Johnson」名義になっているが、註で、「Jim Johnsonというのは偽名で、著者というものを脱構築するのだ」とか書いてるのを見てひさびさに、当時、同級生の山口氏がそれを見て激怒してたのを思い出した。そういう底の浅いギャグは山口氏が最も許さないものである。