通勤電車で読んだ『落語家はなぜ噺を忘れないのか』。落語ディーパー好きだった人が面白がりそうな本。

タイトル通りに「落語家はなぜ噺を忘れないのか」が書いてあるのかと思ったらそれはぜんぜん書いていなくて、自分の落語のねたへの向き合い方っていうか、自分が持っている話がどのぐらいあってそのうち常時すぐにかけられるのがどのぐらい、何度かさらえばかけられるのがどのぐらい、覚えて持ってはいるが演ってないのがどのぐらいあって、それはどういう意味なのか、とか、どんなやりかたで稽古をつけてもらったかとか、先輩からどういうアドバイスをもらったかとか、師匠の噺をどのように受け継ぎ、どのように自分流の噺に改変していくか、とか、なんかそんなこと。希望としては、落語家さんがあんな長い話をどうやって記憶しているのか、について書いてあったらいいなあ、たとえばよく聞くのは「歌のように」覚えてしまう、というので、たしかに歌ならなぜかメロディとともに歌詞も覚えてしまうわけで、一度覚えてしまえば歌詞はメロディとともにするすると出てくる。で、これはどっかで読んだんだろうと思うけど、古来、歌とか口承の文芸とか歴史とかは、そのようにして一種の記憶術として受け継がれてきたんで、膨大な内容をメロディや押韻や複雑な韻律のルールとともにひとたび覚えてしまえば、間違うことなく語ったり伝承していったりできる、という。「ことば」というものを、現代の私たちは思考や論理の道具とおもってるので、決まりきった時候の挨拶とか口上とかは無駄で無意味だとおもいがちなんだけれど、もともとの「ことば」はそういう決まりきった文言を、思考や論理を介さずに交し合うようなものだったのである、等々。なので、落語もそのようなもので、その記憶術が具体的に書いてあるんじゃないかというのが期待だったわけである。まぁそんなことはぜんぜん書いてなかったので、「落語家はなぜ噺を忘れないのか」はさっぱりわからなかった。でも、落語ディーパー好きな人とかが喜びそうなはなしがいろいろ書いてある。ので面白かった。