通勤電車で読む『デザインから考える障害者福祉 - ミシンと砂時計』。

デザインから考える障害者福祉 ―ミシンと砂時計―

デザインから考える障害者福祉 ―ミシンと砂時計―

a:世の中には障害を持ってる人と持ってない人がいて、障害を持ってる人は世の中で色々やりにくい、だから「特別な配慮」をしよう…

…と言ってしまって、それはちょっとちがうなという気になる。そこで改訂版。

b:世の中には障害を持ってる人と持ってない人がいて、世の中は障害を持ってない人がやりやすいように最適化された形でデザインされてて、障害を持ってる人がやりやすいようにはデザインされてないので、障害を持ってる人にも最適化したデザインのくふうをすれば、みんな同じようにやりやすいよね…

…まだしっくりこないのでさらに改訂。

c:世の中にはいろいろな人がいるわけだが、世の中はある種の人がやりやすいように最適化された形でデザインされてて、別のある種の人がやりやすいようにはデザインされてない、彼らを「障害を持っている人」と呼んでいるけれど、そのばあいでもその人その場に応じてそれぞれ最適化したデザインのくふうをするようにすれば、みんな同じようにやりやすいよね…

…もうひとこえ進めてみる。

d:世の中にはいろいろな人がいるわけだが、世の中はあるかたちでデザインされてて、そのデザインに自分を最適化してうまく嵌め込んでやっていける場合にはとくになにもいわなくて、うまくやっていけない場合に彼らを「障害を持っている人」と呼んでいるけれど、もっとふつうに誰でもやりやすいようにその場に応じてデザインのほうで最適化するくふうをするようにすれば、みんな同じようにやりやすいよね…

…なんだか元に戻ってしまった気もするかな…
障害、とはなんなのか、というのをあれこれ考えているうちに、まぁよくわからなくなるわけで、だれだって人それぞれいろいろ異なるわけだから、足の速い人おそい人、体が丈夫な人や弱いひと、早起きな人や寝坊な人、器用な人や不器用な人、物覚えがいい人と悪い人、どうのこうの、とかぞえあげはじめたらひとそれぞれとしかいえないわけで、でもたとえば「仕事をする」となると「職場」や「仕事」はある種のデザインがされていて、それにうまく合わせられる人とうまく合わせられない人とを選別してしまう。で、そのことを良い事だとか悪いことだとか言ってもまぁしょうがないけれど、でも世の中には、たとえばいろいろな企業で、障害者雇用を積極的にやっていてしかもいろいろ考えてけっこういいかんじの職場を作っているところというのはあるみたいで、じゃあそういうところではどんなデザインの工夫をしてるのか、という。そういうのはたぶん、なにが正解ということはなくて、その場のその状況で何を(そこで活動する人たちのどういう側面を)リソースとして見出し、活用できるか、ということにもかかっているわけだから、その現場をみてみてそこの人たちに話を聞いてみるのがいちばんだよ、と。
そういうかたちで、この著者の人はエスノメソドロジーをやっている人だし、最初のほうの章は特にワークプレースに注目してたり、精神障害者支援における「ストレングス」ということばのちょっと一般からすれば奇妙に聞こえる用法を(たぶんリソースと読み替えて)注目してたり、エスノメソドロジー感のある、あるいはエスノメソドロジーに軸足を置いている人が福祉の世界で物を見るとこういうふうになる、というかんじの、本だと思った。
p17.「非雇用者」は「被雇用者」か? p104「被採用者の家族づくり」は「被採用者の家族との関係づくり」か?