『東京ノート』みた。

むかしむかし、会話分析とかアフォーダンスとかの文脈で平田オリザ面白そうだなあと読んでた頃(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20041206/p2)か、ちょっとあとぐらいに、見てみたくなってDVDを買ったまま、なんとなくつんどくになってたんだけれど、ふと見てみた。
で、まぁ、うーむ、と。
基本的に、なんにもおこらないというか、美術館のロビーに、何組かの人たちがいれかわりたちかわり出てきたり出て行ったりして、そこに人生の断片がちらっと見えるみたいな。で、なにが会話分析とかアフォーダンスとかいうのかというと、セリフ回しもふつうっぽいし、ふつうの会話の間合いで、しかもロビー空間の中に何組かの人たちが居合わせて同時に別々に会話してるとか、そういうのを自然っぽく、あるいは自然っぽく見えるように精密に計算して練習して、やってる。とまぁ本で読んで、そうなのかと思って興味が出てきたという。
で、しかしまぁ、まず、これ、DVDで、録画されたもので、カットが割ってある。たぶん複数のキャメラで撮ってて、喋ってるところをフレームで切り取ったりアップにしたりしてる。まぁ、演劇のソフトってまぁ、そうなるわけだけれど。しかし、その同じ空間の中で自然に同時発話、みたいなのは、その空間に居合わせて観劇してるのと、DVDで見るのとでは感覚がちがうだろうなあとは、まず思った。でも、役者の人たちがあまり声を張らないので、その場にいたらぜったい聞き取れないだろうなあという気もした。
で、おはなしの内容としては、まぁだからなにもおこらないわけで、えーと、時々テレビで定点観測みたいな、72時間キャメラを回しましたみたいなドキュメンタリーをやってるけどそんなかんじ。ベタな演劇だと、芝居が始まってから終わるまでに舞台の上で起承転結のできごとが起こるもんじゃないかと思うのだけれど、この芝居は、それぞれの人生を生きる人たちが、キャメラの前というか舞台の上を横切っていく、で、一瞬、人生の断片を見せる、みたいなかんじ。
なのだけれど、それだけだったらたぶんお芝居にならないわけで、見ているとどうやら、いわゆる起承転結以外のやりかたで、いくつかの断片が組織化されていく。たとえば、美術館のロビーっていう設定なんだがそこでちょうどフェルメール展をやってるという設定で、絵画が日常を切り取ること、あるいはフェルメールがカメラ・オブスクラを使っていたみたいなことから、カメラで撮ること、あるいは眼で見ること、窓からさす光のほうを向くこと、みたいなテーマが、絵解きのようにでてくる。また、家族とか人のつながりの脆さみたいなテーマとか。そういうテーマがかすかに細部をつなぎあわせるかんじ。
まぁしかし、それだけだといまいち引きがないかもなあとおもいつつ見ていたら、なにげにいきなりシスターフッドで泣いた。