通勤電車で読んでた『プロジェクト迷走す』。プロジェクトにおいて決断が遅れるのはなぜか、ていうか「トーラス」の悲劇において意思決定がどのように行われたのか。

このまえ『みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」』てのを読んで(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2020/10/09/211038)、それで思い出してたのが、以前読んでたこの本。

1993年3月、ロンドン証券取引所は、ビッグバンを背景に7年にわたって進めてきた株式取引決済システム「トーラス」開発の中止を宣言した。なぜこのような悲劇が起きたのか、その真相を追究する。

今となっては悲しい思い出しかありません。いいこともたくさんやってきたはずです。それが一日で吹き飛んでしまうなんて。プロジェクト・マネージャーの必読書。

とかなんとか、書店サイトの紹介文に書いてある。そういう本。ようするに、『みずほ銀行~』本が、なんだかんだいって新システム完成めでたしみたいになっていたので、もっと泥沼っぽいものを読んだ記憶がよみがえって、読み返したくなったというわけである。
で、読み直してどうだったかというと、まぁ前に読んだときには自分のなかでも「悲劇」ということに傾く読み方をしていたので、プロジェクトにかかわった人たちが誰も間違ったことをしていないにもかかわらずみな悲鳴をあげながら破滅になだれこむ、みたいな印象をのこしていたわけだけれど、読み直したら、まぁ今の自分はもうすこし冷静になってるようで、著者の人がこの本を、ホラーエンターテインメントドキュメンタリードラマじゃなくて理論的なものにしたがってるのが目につく。
で、この本の最大のキーワードは「意思決定エスカレーション」という。これ、耳慣れないけれど、さいしょに簡単な例が示されてて、変な株を買った男が、株が値下がりしたのに損切りできなくて、だらだらと損失を増やして最終的に大損したよ、というはなし。なので、ようするに、「決断」のタイミングを失して当初の意思決定(さいしょの決断)がだらだら更新していくこと、ぐらいの意味のよう。まぁだから、損切りし損ねる的な。そういわれたら、あるあると思う。で、その現象の説明には、通説として2つのものがあるよと。ひとつは「社会心理学的理論」で、ようするにたとえばサンクコストに縛られるとかなんとか、人が合理的に行動できなくなる認知バイアスみたいなものにかんする理論。もうひとつは、「決定ジレンマ理論」これはようするに、ひとは情報がそろわないと判断できないよみたいな理論のよう。それぞれたしかにそうかもなと思わせるけれど、意地悪に言えば両方とも、「決断」のタイミングを逃すのは認知が歪んでたり知識が足らなかったりするからだ、ようするに馬鹿だからだ、ということになる。でも、それは、実験室的な手法で限られた条件の中で心理バイアスとかを測定するからそうなるんで、じっさいのケーススタディをやると違うことが見えてくるよ、という。で、「トーラス」プロジェクトが何度も完成予定を先延ばしにしながら7年にわたってぐだぐだとすすみ、けっきょく開発中止になった、という「悲劇」の関係者へのインタビュー調査が紹介される。そうすると見えてきたのは、プロジェクトが泥沼化しつつだらだらつづき、破綻したのは、みんなが馬鹿だったせいではなくて、ぎゃくに、みんな合理的に頑張っていたのに - いたからこそ - そうなったのだ、というストーリーだと。まぁね、「悲劇」というのはそういうものですね。巨大な運命の機械に巻き込まれた登場人物たちが阿鼻叫喚のうちに破滅へと呑み込まれていく、みたいな。でまぁなんでそうなるかということで、「共有地の悲劇」みたいな話、ようするに、みんなが合理的なんだけど、局所的で短期的に合理的にふるまっていたので、その場その場、その時点時点では正解を出しつつ全体では破綻へ、ということであると。まぁね。
でまぁ、そういう理論ということで言うと、ちょっと面白いのは終章間際の第13章「撤退」で、つまり、グダグダな「トーラス」プロジェクトがだらだらと延命していたときとくらべることで、プロジェクトの破綻が実現したときのプロセスは、逆に、「合理性が立てなおされた」に見えてくるわけである。そしてまた、従来の通説なら「撤退」とはたんにいままで隠されていた「失敗」が明らかになりました、というだけの話だけれど、著者はここで、やおら「リアリティの社会的構成」などと言い出す。で、組織論とか現象学的社会学の文献を参照 - バーレル=モーガンとかバーガー=ルックマンとかマイヤー=ローワンとか(なんで二人組が多いのか、漫才か?)、なんかD.H.ロングが出てきたりカール・ウェイク(ワイク?)とか - 参照しつつ、一連のプロセスの中で、何が合理的で何が非合理的か、何が現実的で何が非現実的か、何が成功で何が失敗か、みたいなことにかんする神話が適宜援用されてリアリティが社会的に構成されるよ、みたいなことを言い出す。著者はこの本を、マクローメゾーミクロの3つの次元に目配りしつつ書き進めていることになってて、ここではとくにミクロの組織論として、そういうリアリティの社会的構成の視点が提示されてるわけである。それがこの本のオチ。悪くない。