通勤電車で読む『ケアする人も楽になるマインドフルネス&スキーマ療法』。これは乗れない。

ひきつづき(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2020/11/28/000207 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2020/12/01/093842)。これもBOOK1&2の2巻本。2冊ずつ出さないといけない法律でもあるのか。それはそれとして、これは乗れない。この「スキーマ療法」というのは、著者の人が入れ込んでいるらしくて認知行動療法の発展形ということのようなのだけれど、もともと良くも悪くも薄っぺらい所がミソな認知行動療法が、なにか”より深層”のもの ー 「スキーマ」 - を扱うよ、ということなんだが、それがいかにも不用意に見える。俗流精神分析風のものが「幼児体験」に焦点化するようなやりかたで「早期不適応的スキーマ」というのをヒアリングで聞き出して、それを理解して操作していくのが、精神分析とかで言うところの「転移」にあたるような治療的関係を通じてということになるのだが、これを「治療的再養育法」と呼んでいる。まぁ、そのへんの精神分析系の、あるいはその簡易版みたいなかんじの交流分析あたりと重なるような「大人/子ども」みたいな用語法とかも含め、なんかそういうのがやってるようなことを、まぁベタに簡易版にしてわかりやすくやっているかんじ。で、この「スキーマ療法」、著者の人によるとたいへんだけれどパワフルで効果があるということなんだけれど、うーん、そりゃパワフルだろうという感想で、つまり、たとえば怪しいカルトの洗脳だってパワフルで効果があるっちゃあるわけで、パワフルならいいというもんじゃないでしょう、という感想なのである。クライアントが想起する過去というのはある種のファンタジーであって…とかなんとかいう視点が、まぁ希薄で、まぁたとえばアメリカなんかで一時期、安易な分析とか安易なカウンセリングが「幼児体験」の「トラウマ」なんかを「想起」させたら「虐待体験」なんかが無暗にじゃんじゃん出てきて、私は傷ついた!とか両親が憎い!とかいうことであちこちで裁判沙汰になったみたいなおはなしがあるわけで、それに通じるものをちょっと感じるわけである。この2冊は、「マミコさん」というひとりの仮想のクライアントが著者からカウンセリングを受けるというすじがきになっているのだけれど、このマミコさんという架空の、しかし著者からするとリアリティのあるクライアントというのが、幼児期から、なんか昔の「ケータイ小説」の主人公みたいな凄惨な見捨てられ&被虐待&性被害と混乱の人生を歩んできて現在もものすごくしんどい状態であるよという設定で、まぁなんか、そういう極端な設定にしたくなるというところも、著者の人のある種の(クライアントさんたちに対する)逆転移というか、なんか冷静じゃない感じを感じる。もちろん現実にまさにそういう困難を抱えたクライアントさんはいるのだろうけれど、カウンセリング手法のテキストに登場させる例としてそういう極端なイメージをいきなり手掛かりにするというのには、あまり賛成できないなあと思う。えーと、もっとふつうっぽい例でやったらいいわけだし、認知行動療法ってそういう、仕事でちょっとうまくいかないとかこじらせてパニックになったとかそのぐらいの湯加減のものを、ツールとか使いながら見える化して意識レベルでサクッと解決にむかわせる、というのがちょうどいい湯加減なんじゃないかなあという印象を持っていて、それ以上の、たとえばクライアントさんの生き方そのものにかかわるようなことも、日常的な薄っぺらいこまごまとした事柄を少しずつカイゼンしながら、スモールステップで階段を上がっていって気が付いたら見晴らしがよくなっていました、みたいなやりかたのが認知行動療法ぽいなあと。幼児体験に手を突っ込むようなことは、パワフルか知らんが、安易に乱暴にやってしまうと破壊的になったりおかしな行動化が出てきたりするのが怖いわけで、そのへんの用心もふくめゆっくりじっくり進めていくのであればこの「スキーマ療法」というやつよりも、ごくふつうの精神分析とか力動的な心理療法とかのほうが理論的な道具立てもそれなりに繊細につくりあげられていて、安全だししっかりいけるのじゃないか、という気がするわけである。なので、うん、著者の人の実際のカウンセリングはそのあたりをカウンセラーの人間力によってうまくバランスとってやってるのだろうけれど、この本で読む限りで言えば、「スキーマ療法」というのは、ちょっと乗れんな。と思いましたよ。