『Fukushima50』みた。これアメリカ映画だったらどう作ってたかな等々。

Fukushima 50 DVD通常版

Fukushima 50 DVD通常版

  • 発売日: 2020/11/06
  • メディア: DVD
テレビでやってたのを録画してたので見た。画面にいきなり「事実にもとづく物語」と字幕が出るわけだが、まぁ映画なんだから事実とは関係なく見るわけだ。ていうかこれはまぎれもなくスターが出演する商業映画なのだから、なんか渡辺謙佐藤浩市も誰もかれも揃って怒鳴りまくって冷静さを失っている(あるいは怒鳴っていない電力会社幹部は逆に無思慮無責任なパワハラバカとして描かれている)というのはどうなのか、もしこれがアメリカ映画だったらどう作ってたかな等々と考えながら見ていた。「フクシマ50」というのは海外から英雄としてそのように呼ばれた、ということなのだから、アメリカ映画だったら、彼らの英雄的な活躍を描くのではないか、そして、旧友である渡辺謙佐藤浩市は、熱血な当直長・佐藤浩市(これはいいとして)と、冷静沈着で合理的な判断で皆を導く所長・渡辺謙、というコンビとして描かれるもんなんじゃないのか、等々。じつは、これアメリカ映画だったら、というので念頭にあったのが『アポロ13』で、渡辺謙が主席管制官エド・ハリス佐藤浩市が船長トム・ハンクスというところ、これでどう、と。
ジーン・クランツ(エド・ハリス) - 「アポロ13」 | 映画スクエア
ジム・ラヴェル(トム・ハンクス) - 「アポロ13」 | 映画スクエア
いや、そのような劇作をしないのが日本的なリアリズムなのだといいたいのかもしれないけれど、どうだかなあ。映画では次々とインシデントが起こり、それに対して対策が成功したのが描かれたのは一つ目のバルブを開けてベントが成功したことぐらい。あとは基本的にいろいろうまくいかなかったり想定外のことが起こったりして事態がどんどん悪くなり、「フクシマ50」の人たちはもうなすすべもなく、しかしその場から撤退することなく命がけでその場に残った、自分たちにはもう積極的には何もできないが、しかしもし自分たちがここから逃げ出してしまったら誰もいなくなってしまう、そうしたらもう日本はおしまいだ、みんなが俺たちに希望を託しているのだ、だから俺たちは最後の一人が死ぬまでここに残り続けるのだ、といった、まぁ現にすでになすすべがないのに現実否認的な魔術的なことを言って、命を捨てる覚悟でそこに残る、そうしたらなんでしょうね、みんなの祈りが通じたというのでしょうかね、なぜかよくわからないけれど奇跡的に2号機が落ち着いてくれて問題は終息してみんな家族のもとに帰れました、というお話になっていて、なぜか唐突に、学校の運動会でやられていたという「人間ピラミッド」を連想した。みんなで歯を食いしばってじっと我慢して持ち場を守り重さにひたすら耐えていたら勝ちましたみたいな。それはしかし、近代的な最先端の原子力発電所のインシデントとの闘いを描くには逆にリアリズムを欠いているのではないか。たしかにいろいろな不測の事態が続き現場は混乱しただろうし、間違いなく決死の覚悟だっただろうけれど、その中でも基本的には合理的な判断と行動を重ねて、成功失敗あれども少なくとも刻々と手を打ちつづけたからこそ惨事を防ぐことができたのではないか。それを描くという線はなかったかなあと思うし、だから、なんとなく日本的リアリズムのように感じられるものはそれ自体が日本についての神話なのではという気もしなくもない。等々。

と思いつつ、念のため検索をしてみたら、映画の話でなく現実の話として、フクシマとアポロ13とを比べている人がいた…三菱総合研究所のコラムだ…いやいや…
www.mri.co.jp