『一度きりの大泉の話』読んで『文藝別冊 萩尾望都』もついでに。
自分は萩尾望都はほとんど通ってきてないし、竹宮惠子はまったく通ってきてなくて、たぶんいわゆる「24年組」に微妙にまにあってなかったのじゃないかと思う。高校の頃?に、姉が買っていた『プチフラワー』『ぶーけ』『LaLa』を読んで少女マンガばかり読むようになってたので、いろいろと目にはしていたと思うけれど、その雑誌の中では姉は『プチフラワー』をちょっと上に捉えていた感じがあって、姉の本棚には萩尾望都が並んだりしてた。『一度きりの大泉の話』を読んだら、そのあたりで見ていた名前がいろいろ登場しつつの、けっきょくなんかいろいろうずまくかんじで人間関係が途絶えてしまって今に至っても二度と戻らないというのが、萩尾望都じしんの口から一度きり語られる。うーんと思って、『文藝別冊 萩尾望都』を見てみたり。まぁしかしあれです、これ登場人物が天才と天才だからあれだけど、こんなかんじの人間関係のこじれとか途絶とかは世の中のどこにでもおこっているもんだろう。そのかぎりで、この本を読んだ人は(少女漫画ファンでなくても)なにかしら心当たって身につまされるかんじになるだろう。まぁそれでも、この本の中に登場する人はそれぞれ「名前のある人」で、それぞれあれやこれやをくぐりぬけて生き残った人だというところが味噌で、萩尾望都だって竹宮惠子だって、マンガをやめてしまったら世界の損失です!と言われるひとたちであって生き残った人たちであるわけで、まぁだから、生き残ったんだからいいじゃないですか、と言いたくはなる。