通勤電車で読む『マイパブリックとグランドレベル』。まぁどんどん実践してるおもろい人の本ということで。

著者の人は、建築とか?の事務所を夫婦でやってる(やってた?)人で、なんやかんやで思いついて、勝手に屋台みたいなのをやってその辺の人にコーヒーをふるまったりしたい、と思いついて実行する。で、「マイパブリック」と称してそれが富の再分配であると。まぁ、そのへんについてはちょっとそれはちゃうやろと。著者の人は、経済的に豊かな層から貧しい層に国家などが税などによってやる富の再分配を、かわいそうな人への施しであるとして、じぶんがやっているのはそうではないというてじぶんのやってることを従来のパブリックとは違う新しいいけてる「マイパブリック」と称してるみたいなのだけれど、まぁ、パブリックっていちおうそれなりに歴史的蓄積も意味合いもあることばなので、そんなに簡単に片づけられる気がしないし、まぁそういうあれでいくと著者の人のふるまいの活動は、まぁふつうにいって「金持ちの道楽」というのであって、そこに公共概念の未来を託すわけにはたぶんいかないんじゃないかと思う。著者の人がかんたんに片づけてしまっている「公民館」などというのは、やはりそれはすてたものではないんじゃないかなーと思う。でもまぁそれはそれ。著者の人は、思いついたことをどんどん実行するわけで、まぁそれはたしかに、まちに面白いシーンを産み出す突破力があるようにみえる。かってに屋台をつくって勝手にその辺の人にただでコーヒーをふるまっちゃって、なんか何の変哲もなかった空間をにぎわわせてしまう、人と人とがかかわる場がふっとできてしまう、などというのは、やはりおもしろいわけである。