『アナと雪の女王』『アナと雪の女王2』みた。ヒットした快作とその続編。

テレビの金曜ロードショーで二週連続でやってたので録画してみた。1作目が2013年、2作目が2019年公開。1作目のときには、けっこう話題になって、大人女子が自分を重ね合わせて泣けるとか、挿入歌の「レリゴー」の訳についての考察みたいなのもあった記憶がある。で、現物を見て、なるほどこれかと。おっしゃる意味はわかりましたとなった。レリゴーについては、あそこで「ありのままの自分になれる!」と喜びが爆発しているというのも妥当だと思うし、いやあれはどうにでもなれとやけっぱちになってるんだというのも妥当だと思う。故郷を追われてひとりになってみたら自分が自由であることに気づきました、というのは、まぁ理解できるお話なので、どっちか一方だけのいみってことにしなくてもいいわけだし、いずれにせよまだ物語の中盤なんだから、そこで「正解」が出るというわけでもない。故郷を追われた!孤独だ!とか自分は自由だ!と思っていたけどそれは気の迷いであってやはり故郷に戻れて幸せになりました、という筋書きはふつうにある話だし、まぁそれがすごく失望させるはなしというわけでもない。でまぁそれはそれとして物語のヒロインは妹のほうで、ストーリーは妹の動きで展開する。で、まぁこれミュージカル映画だし、途中はスクリューボールコメディ(婚約者がいるのに別の相手が騒々しく乱入してきて、とか、協力だか妨害だかわからないがキュートな女子、であるとか)とか白馬の王子とか白雪姫(森の奥の石ころの人たちというのは「七人の小人」の異版?)とか、悪漢からの間一髪の救出とか、を踏まえつつうまく今風にひねりを加えていて、アクションする女子、シスターフッド、ということで、なるほど快作なのだった。
でまぁ、余韻に浸る間もなく、間を置かずに続編を見るというのは、なかなか酷なんだろうなあと思いつつ、まぁ見た。まぁ売れた作品の続編というのはむずかしいですねということになる。『修羅雪姫』の続編はぜんぜん別のお話として作ってたなあ、と思いながら見ていた。連想でいま思い出したが、『キル・ビル』『キル・ビル2』は、もともと一体のものだったのを二つに分けたんだったか、で、1本目がアクションもたのしい快作で、『2』のほうで一転して主人公の過去をさぐるアイデンティティの物語になってたような印象があって、『アナ雪2』もちょっとそんな印象。一作目では、姉エルサが氷の魔法を持っていますというのがある種の「タネ」になって、それに対して妹アナがヒロインとして行動する、というしかけになってたわけで、二作目は、その「タネ」のたねあかしをするために過去にさかのぼって解決するという、まぁそうなるとアクション映画というかんじにはなりにくい。また、一作目は、ヒロインが行動した結果、変容して成長しました、「タネ」をきっかけにしてなんだかんだ起こったけれど最終的には雨降って地固まる、よかったね、という筋書きになっているが、二作目で、その「タネ」が解明されて解決されてしまって姉エルサが変容してしまったら、この作品世界の世界観そのものが変容することにならないか、というのもある。一作目の解決感と二作目の解決感が食い違うような気がするけれど、それは、2作を立て続けに見てしまったために気になるのか。まぁ言うてもディズニー映画というのは基本、子どもむけってことで、一作目を見て喜んだ子どもが6年たって子ども自身も成長して二作目を見る、というのでちょうどいいのかもしれないかな。