なぜ『勝手にしやがれ!!黄金計画』をもういちど見直したのか。

はなしのつじつまのところを確認しようかと思ってもういちど早送りしながら見直し始めたら結局ほとんど見直してしまった。せっかく藤谷美紀が映っているところを早回しする必要もないなと思って。『強奪計画』の七瀬なつみにはファム・ファタルの気配がちょっとぐらいはあって、『黄金計画』の藤谷美紀にはそれが感じられない。前者には内面があって後者には内面がない。それは七瀬なつみ藤谷美紀のちがいというのもあるだろうけれど、後者が黒沢清の脚本だというのもあるだろう。5000万の隠し場所の地図を持った奇妙な女の子、という設定があり、それが、その地図を狙う二人組の悪漢、とか、悪徳刑事、とかいう設定の者たちと組み合わさってともにおはなしを展開させる。おはなしを展開させるためにかれらは行動するわけで、悪漢は地図を追うし悪徳刑事はむやみに人を逮捕する。七瀬なつみがクスリの容器をもってきちゃうのはついふらふらとお金に目がくらんだからで、七瀬なつみアメリカに行きたいのは病気の父親を治療したいからなのだけれど、藤谷美紀哀川翔の家財道具を勝手に持ち出して近所の公園で路上売りしてるのはお金に対する欲というより、たんにそういう習性を持つ者としてそうしておはなしを進めるためだし(金に対する欲があるならもう少し見つからないように上手にやるしさっさとあきらめない)、藤谷美紀がジャマイカに行きたいのもたんにそういう夢を唐突に思いついた者としておはなしを進めるためである(藤谷美紀がいつも歌っている「ラクカラーチャ」はメキシコ民謡なのに)。したがって藤谷美紀の内面とか心理とか情緒とかの脈絡を考えたら支離滅裂にしか見えないけれど(あるいは100歩ゆずっても「度し難いほど幼稚」にしか見えないわけだけれど)、黒沢清の脚本は藤谷美紀に内面を求めてないわけで、「ラクカラーチャ」を3人で歌いながら宝探しに向けて赤いポンコツフォルクスワーゲンを走らせるたのしいおはなしが展開すればそれでいいわけである。とにかくきのうからずっと「ラクカラーチャ」が頭の中で流れたり口ずさんだりしている。