帰省の汽車で読み始めてた『スピノザ』。お正月の読書。とてもよかった。

年末に帰省をしたとき、電車に乗る前の時間つぶしに書店に入って『ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方』『スピノザ 読む人の肖像』を購入、往路で『フーコー』のほうをさらっと読み、復路で『スピノザ』を読みかけてたのだった。それで下宿に戻ってから続きを読んだ。お正月の読書でスピノザ、というのは、気分が出る。
この著者の人は『ドゥルーズの哲学原理』( https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20151009/p1 )で最初に見たのか、だからドゥルーズが専門の人かとばかり思っていたのだけれど、後書きによると修論も博論もスピノザ論だったということで、こちらが本業なのだった。『来たるべき民主主義』もたしか読んでたと思うのだけれど、それはたしかちょっとぴんとこなかった。で、『中動態の世界』(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2019/12/13/162618)は思いの外よかったという記憶があって、しかし、その後その本を引いてやたら「中動態」というワードを使う人がたくさん出てきてそれはほんまかいなと思っている。NHKの「100分で名著」のスピノザのときもこの人だったと思うけれど、まぁそれはあの番組なので、ふうん、まぁねえ、というかんじだった。というぐあいで、じつはこの本にもあまり期待してなかったんだけれど、読んだらよかった。読みやすいし、なんかスピノザの著作の一つ一つををていねいに解説してもらっているかんじで(厚い本なので、ていねいに解説してもらってる感がある)、たとえばこれをもういちどゆっくりと読書会とかしたら勉強になるかなあというかんじ。
また、読みながら、
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とかメモしていたのだけれど、『神学・政治論』読解の章の、ホッブズ批判や政治的/宗教的な契約のロジックや意志論を読みながら、以前、校則の法源論の二重性(近代的成文法体系/教育条理)を考えたことや、秩序/規則/権力/いじめ/責任の構図について考えたことを思い出した。そのあたりと読み合わせつつもう一度読み返す、というのもあるなあ等々。