『シン・エヴァンゲリオン』みた。まぁけっきょくのところはこんなかんじで。ついでに録画していたNHKのドキュメンタリーもみた。

エヴァンゲリオン』というのが終わるとか終わったとかいうはなしを目にしてから、まぁ映画館には行かないとして、まぁ円盤が出たらと思っていたのが出たので見た。で、いままでの感想はこんなかんじ( https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2020/06/09/014536 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2020/08/01/090920 )で、まぁこれがどうにか収拾がつくとは到底思えないわけだけれど、見てみたらやっぱりまぁけっきょくのところはこんなかんじで。終わったか終わってないかというと、終わったということになるだろう。では納得したかしなかったかというと、まぁそもそもそういうはなしではない、ということになるだろう。つまりそもそもの最初(というのはつまりテレビシリーズのとき)から収拾をつけることは放棄されていたわけだから、べつに終わるからといってつじつまが合うことは期待していない。いやまぁ説明的だったといえば説明的だったし、しかしそれがなるほどわかったとなるかというとそんなもんなるわけない。ひょっとしたら誰か(たとえば監督とか脚本家とか)の頭の中ではものすごく苦心してつじつまが合っているのかもしれないけれどふつうに見てこれが破綻なくつじつまが合っているようには見えない。じゃあうまく終わってないのかというと、「終わりですよ」と言われれば終わりなんである。全部ほっぽり出して、ばーっと適当な説明を並べたふりをして、こういうことだったんです!おしまい!と言えばそれでおしまい。えーとつまりテレビ版の最終回がそんなかんじだった。でまぁテレビ版以降、おはなしはより収集つかなくなっているわけだから、よりいっそうそういう終わり方以外の終わり方ができなくなっている理屈なわけである。ではおもしろいかおもしろくないかでいうとたぶんそういう問題でもない。テレビ版が1995年で、本作が2021年なので、まぁ四半世紀ひっぱったものが終わったということで、まぁ、思わせぶりな伏線をまき散らしてどんどんはなしが収集つかなくなって、しかし伏線というのはいつの日かの回収を(すなわち「終わること」を)意味しているのだからいつかは終わらないといけない、それが、終わった、ということの意味だろう。

ついでに、公開時にNHKで放映していたドキュメンタリー『さようなら全てのエヴァンゲリオン庵野秀明の1214日〜』をようやく見た。なんか、上↑で書いたことまんまだった気も。まぁただ庵野って人が自分自身が混乱の中にいたのかなってかんじは感じたかな。