『日本語の宿命』再読。やはりいい。

「社会」とか「市民」とか「民主主義」とか「権利」とか、社会科学の基本語になってるしそれらの言葉は日常的に当たり前に使われていてじっさいにこの社会について考えたり議論したり社会をじっさいに営んだりするときにもそれらの言葉を使うわけだけれど、もともとは西欧語からの翻訳語なわけである。なかなか苦労したり工夫したりして翻訳をしているのだけれど、そのもとになった原語とのつながりが忘れられてしまうと、なんだか日本語ガラパゴス的なとんちんかんな意味合いになってしまって、それをそのまま使いながら社会科学的な議論をおこなおうとしたり社会を営んでいこうとしたりすると、とんちんかんになってうまくいかないのでは?という筋書き。それはまぁなるほどそうである。以前読んだときもなるほどーと読んだけれど、このところまた「社会」ということばについて授業でどうのこうのしているので、ひさびさに再読、やはりよかった。ついでにいうと散髪に行った。